第120号 知者不言
いきなりで申し訳ありませんが、まだ春だったころに読んだ本の一文を紹介します。
『時は流れる、だがその先に、何が起きるか誰にもわからない。』これは堂場瞬一の推理小説に出てくる一文でした。良いことも悪いことも含めて、この先何が起こるのかわからないからこそ、一瞬一瞬を悔いのない生き方をしたいと考えた私です。
話は変わりますが、どうやら、たくさん知識を持っている人ほど言葉数は少ないようです。
この知者不言という言葉を知り、私は反省しなければと心に決めたとき、まだまだ知識薄だと思いました。私は、知識人とは程遠いようです。
見えないということは、鏡に映った自分も見えないのです。ということは、自分自身をこの先永遠にみることができないということなのです。だからこそ、しっかりした自分を持っていたいと思うのでした。
※ 知者不言(ちしゃふげん):物事の道理をわきまえる真の知識者は、それを軽々しく口にはしないものだということ。「知者」を「智者」とも書く。
初めの詩は、友達と喧嘩をした時、また妻に八つ当たりをして怒鳴りつけたとき、自らの愚かさに心がどん底に落ち込んだ経験を思いだし、それを詩にしたものです。
仏教の教えや、旧約聖書の言葉を想定し作りました。見た目とは違い、激しい一面を持つ私の正直な心中です。
どうぞ読んでみてください。
〈罪を憎む〉
もしも目が罪を犯すなら
そんな目は潰してしまえ
もしも口が罪を犯すなら
そんな口は塞いでしまえ
他人の心を傷つけてしまうよりは
ないほうがまだましだ
もしも手が罪を犯すなら
そんな手は引き抜いてしまえ
もしも足が罪を犯すなら
そんな足は切り刻んでしまえ
他人を苦しめてしまうよりは
その方がまだましだ
もしも心で罪を犯すなら
そんな心は握りつぶしてしまえ
もしも頭で罪を計画するならば
そんな頭はかち割ってしまえ
なぜなら心や頭が
罪の発露になるのだから
・・・・
私の目は
何度も罪を犯したのだから
視力を失くしてしまいました
それでも私は
生かされています
そこに神様や仏様の
深い愛があるのだと感じます
それだから それだから
罪を憎む気持ちを瞳は向けません
罪を犯した人を憎めば
その憎しみが
やがて自分に変えることを知ったから
私はそんな努力をする毎日なのです
▽ まさしく「人を憎まば穴二つ」ですね。
ある本に、大脳は人に向けて言った悪口でも、ほめ言葉でも、自らに向けられたと認識する、と書いてありました。
次の詩は、視力をなくし、苦しみ悩んだ末に、無理やり自分に言い聞かせた内容です。
この詩でいうところの「天」とは、神様や仏様そしてご先祖様を指しています。
どうぞ読んでください。
〈賜りもの〉
五体満足で命を
天から授かり
家族や友達も
授かり
楽や苦を同じくらい賜り
やがて五感の一つである
視力を天にささげた
それから六番目の感覚を天から賜り
やがてささげたもの以上な
幸せを賜わった
▽ 私は、苦しみにさいなまれたとき、合掌し心の中で『神様仏様ご先祖様…助けてください』と念じます。
何時しか、心が押しつぶされそうな時に、こんなルーティーンが身についたようです。これはまさに『困った時の神頼み』ですね。恥ずかしい限りです。
しかし、正直に言うと「神様はいるのかしら??」と、見えないからこそ考えるようになりました。
今回も、私の勝手な思い込みを書きましたがお許しください。
小澤真人でした