第118号 虚心坦懐
まだまだ暑い日は続きそうですが、今年も早、8月のお盆も終わりました。昔懐かしい言葉に「暑さ寒さも彼岸まで」とありますが、この暑さも残りあと1か月ほどではないでしょうか?!…どうも見えなくなってから、自然界の動きに敏感になったような気がします。
話は変わりますが『最近の若者の間に、自分探しをしている人たちが増えている』というニュースをテレビで見ました。66歳になった今でも、私は自分探しの迷路に迷い込んでいます。見えなくなったゆえのことかもしれませんが…?!そこで提案です。
今まで経験し、積み上げてきたことや、共感した考えや思想などなど、いったん置いておいて「虚心坦懐(きょしんたんかい)」頭も心も空っぽにして、自分探しの迷路に挑戦してみたらいかがでしょうか?!もちろん、そんな必要を感じない人は多いと思います。そんな方たちは、私にとって羨ましいかぎりです。

※ 虚心坦懐(きょしんたんかい):何のわだかまりもないすなおな心で、物事にのぞむこと。また、そのさま。
初めの詩は、私が純粋で素直な小学生だった頃の出来事を詩にしてみたものです。
実際の話です。私よりも若い人や、都会で生活をしていた人たちにとっては、異空間の話に思えるのではないでしょうか。どうぞ読んでください。

〈蝉や鬼虫や〉
黄昏て鎮守の杜に蝉の声
・・・・
鎮守の杜は
俺たちの集合場所
約束をしなくても
下校後には
らんどせるを
自宅に放りだして
近所の男の子たちが
嬉々として
集まってくる
速い者順に
複雑に枝を張り
太く伸びた木々を蹴飛ばして
鬼虫やかぶと虫を
山ほど捕まえる
鎮守の杜は
俺たちの遊び場所
頭上高くから
燦燦とふりそそぐ
せみ時雨は
俺たちのBGM
梢を這いまわる
毛虫でさえも
大切な大切な
俺たちの
おもちゃのちゃっちゃっちゃ!

※ 鬼虫=くわがた虫

▽ これは、昭和40年代の群馬の田舎での話でした。この詩に懐かしさを覚えた方は、私と同世代ではないかと思うと、うれしくなってきます。
次の詩は、まだ私が、純粋そのもので、ピカピカの若いころ想い悩んだことを詩にしたものです。同じことを考えた方も多いのではないかと思います。
どうぞ読んでください。

〈焦燥感に焼かれて〉

朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり
・・・
人生唯一の目的は
人として行くべき道を聞くにあり…
と孔子は
言ったとか
言わなかったとか
私は胸が
ジリジリと
焦燥感で焼かれる
どんな本を読めば
行くべき道のことが
書いてあるのか
誰から教えを請えば
行くべき道を
知ることができるのか
老い先短い
私にとっては
焦るばかりである
己は
何者なのか
己は
何処から来て
何処に向かっているのか
これから先も
己の
アイデンティティー探しは続く

▽ 少し恰好をつけてしまいましたが、広い心でお許しください。とは言っても、若いころこんな気持ちになったことはありませんでしょうか?
大切なことといえば大切ですし、どうでもよいといえばどうでもよいこととも言えます。
どうやら見えないということは、周りの動きが全く分からないかわりに、自身がよく見えるようです。
今回も、辛抱強く最後までお付き合いくださりありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
小澤真人でした