第五十六号 困ったときの…
皆さんは、仕事や人間関係などで、二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなった経験はありませんか。そんな時にはどうしますか。
私は義父との関係で、前門の虎後門の狼状態になった経験があります。今思い返してみても、必死な思いで、藁に縋ろうとしたことを覚えています。そんな時に私がとったことは「困った時の神頼み」でした。嫁ぎ先の、舅や姑との関係を超えた経験を持つ方にとっては、岡目八目なのではないかと思うのですが…
話は変わりますが、皆さんは、年明けには初詣に行きますか。因みに昔、ある年輩の女性に「初詣は、遠くの神社仏閣を参る前に地元の神社に行きなさい。なぜなら、一番身近で見守ってくれているのは地元の神様なのだから」と教えられたことがありました。
始めの詩は、自分の心の内を誰にもぶつけることができずに、苦しさがピークに達した時の経験をしにしたものです。詩に書いた「声」は、胸の奥底から、実際にはっきりと聞こえてきたのでした。この経験から、神は人それぞれの心の中にいるの?と一瞬思ったのでした。
どうぞ読んでください。

※ 前門の虎後門の狼(ぜんもんのとらこうもんのおおかみ):前にも進めず、後ろにもひけないことのたとえ。
岡目八目(おかめはちもく):当事者よりも部外者である第三者の立場のほうが、事態を正確に判断できるという意味。また、当事者は、問題のことで頭がいっぱいになって冷静な判断ができなくなる場合もある。一方で傍から見ている立場の第三者は、問題に直接的には関係がないことで冷静かつ客観的な判断ができるという意味でも使われている。

〈神さま〉

私は苦しかった
辛くて悲しくて
死ぬよりも辛いことに
生まれて初めて出会ったと
悲嘆に暮れた
笑顔もすっかり忘れてしまった
眉間には皺がよった
すぐ隣に大嫌いな人がいる
頑固で偏屈で
自分勝手なひとだ
同じ空気を吸うのも気持ち悪い
ある日ある時
苦渋に耐え兼ね
藁にも縋り付きたい思いで
神様に問いかけた
「神さまあんな人をどうして愛さなければならないのでしょうか」
胸は押しつぶされ
腹はよじれる程痛かった
特に答えを求めたわけではない
ただただ
耐えきれずに愚痴りたかった
すると
全身は静粛に包まれ
玉響な時が過ぎた
その刹那
胸の奥底から声は聞こえてきた
哀愁たっぷりに
厳かで
重く響く声だった
「おまえと一緒に暮らしたいからだよ…」と
それは確かな声だった
そこに真実の愛を見たように想った
苦しいのか
悲しいのか
あるいはほっとしたのか
目には涙が溢れだした
その涙が
嬉し泣きだと気付いた時
粛々とした
嗚咽に変わっていった

▽ 私は、祖父母の影響を強く受けた為に、毎朝仏壇や神棚に手を合わせていました。
そんなこともあり、神社仏閣をお参りすることには何ら抵抗はありませんでした。神様や仏様についても、はっきりとした概念があったわけではありませんでしたが、手を合わせることを深く考えずに、自然に行っていました。
次の詩は、数億・数十億と言う長い歴史から見たなら、私の人生などは小さな点のような短さですが、その短い人生の中にも、私なりの苦しさが紛れていることを書いてみました。
勝手な考えですが、地獄も天国も、この世にあると思うのです。ある本には、この世の続きがあの世だとありました。苦しみから逃げるために命を絶つと、あの世に行っても地獄の続きが待っていると想うと、苦しいことがあっても辛いことがあっても耐えることが必要だと自分に言い聞かせています。また、過分な欲望は辛抱しなければならないと思う私なのでした。
どうぞ読んでください。

〈焦る気持ち〉

行雲流水を旨とし
耳を澄ませば
見えるものは変わってくる
一生涯私は
禅僧のような修行僧
そんな気持ちを
心のどこかに留め置いて
これからも歩いてゆこう
・・・・
視力を失くしたことを
認めて受け入れる前は
暗黒世界でもがいている如き
阿鼻叫喚地獄を味わい尽くし
地獄はあの世ではなく
この世にあることを悟り
誰とも会いたくはなく
孤独にしがみついた
・・・・
見えなくなったことを全身で
確りと認めて受け止めてからは
天国へ行く道は地獄を経由することを知り
そこに待っていてくれるであろう
神様や仏様に心を寄せ
行く雲や流れる水のように
自然に身を任せ
残りの人生を歩いて行こうと決めた
・・・・
総てのこだわりや執着を
手放し
捨てる努力を始めてから
凝り固まった肩は徐々にほぐれ
重かった足取りは軽くなり
心は次第に明るくなった
それからそれから
見えるものも変わった

▽ 皆さんは、同じ空気を吸うのも気持ち悪いと言う経験をしたことはありますか。これは比喩や例えではなく、実際の気持ちです。
以前にも書きましたが、私の拙い経験知から、天国は地獄を経由して行く所だと感じたのでした。苦しい地獄を経由することで、最終目的地である天国はきらきら煌めいて見見えるようなのです。
今回も持論を展開してしまいましたが、お付き合いくださりありがとうございました。
それでは、良いお年をお迎えください。
石田眞人でした