第五十七号 情けは人の…
私が、全国ベーチェット協会視覚障害者視覚支援センター熊谷のホームページに詩を掲載させていただくようになったのは、令和2年(2020年)8月のことでした。
あれから3年目の令和5年(2023年)正月を迎えることができました。こんなに長く掲載させていただけるとは、思ってもいませんでした。
令和5年を迎えるにあたり、全国ベーチェット協会視覚障害者支援センター熊谷の皆様にお礼を申し上げます。
また、加えて、私石田眞人の詩を読んでくださる皆様に、厚くお礼を申し上げます。
令和5年の始めに、因果応報の話が載っていたある仏教関係の本の内容を、恥ずかしながら紹介させていただきます。新しい年を迎え、私の頭に浮かんだ四文字熟語が『善因善果・悪因悪果』と言う因果応報の言葉でした。
その本の中に、原因と結果は同じであると書いてありました。例えば『たんぽぽの種が風に飛ばされ、落ちたところにはタンポポが咲き、リンゴの木を植えると、やがてリンゴが実る。これが自然界の法則である』と言うのです。私は思いました…これらの内容は当たり前のことで誰でも知っています。しかし、この世の中の法則は意外に単純明快な半面、そのことに気付きにくいのではないかとです。
次のようなことも書いてありました。『現在の私が困っている人を助けると、未来の私、あるいは子孫の中で困ったことが起きた時に、必ず助けられる』とも書いてありました。これこそは「情けは人の為ならず」ですね。また、遺伝子のことを書いた本には『現在の私は過去の結果であり、未来の原因である』と書いてあるのでした。つまり『本が大好きで、本に多く接してきた先祖がいれば、その子孫にも本好きの子が生まれ、現在の私がプロ野球の選手を目指して努力を重ねれば、たとえ自分がプロの世界に入れなくても、子孫の中にプロ野球の選手が生まれる可能性が高くなる』と書いてあるのでした。
始めの詩は、国リハ(国立障害者リハビリテーションセンター)時代に、お世話になった寮母さんとの出来事を書いたものです。寮母さんは私よりも10歳ほど年下でしたが、ある時は母親、またある時には姉のように接してくれました。国リハでは、忘れられない出会いが沢山ありましたが、その中の一つが寮母さんとの出会いでした。
では読んでください。

〈花香る〉

「渡り廊下で花の香りがしましたよ」と
管理室にいた寮母さんに話しかけた
すると 太陽のような寮母さんが
「それは梅の花でしょうね」と
穏やかな声で教えてくれた
僕は国リハの病院で
採血をした帰りだった
続けて寮母さんは言った
「南北寮の間の中庭には蝋梅が咲いていますよ」
僕は蝋梅の香りを思いだそうとしたが
すでに忘れかけてしまい
記憶を遥か彼方に戻してみたが
仕舞いこんだ引出まで
辿り着くことはできなかった
『確か上野公園になかったかな』などと考えたが
無駄な抵抗であることに気づき
考えることをやめにした
そんな僕の様子を見ていた寮母さんは
「まだ咲いているかもしれませんね」
「行ってみましょうか」と
声をかけてくれた
僕は蝋梅の香りと
寮母さんのご好意に
甘えてしまい
目が回るほどの
忙しさだという事を知りながら
「お願いします」と
答えてしまっていた
寮母さんは
「まだ咲いているといいですね」と
優しく僕の手を取った
僕は冷え切った掌で
寮母さんの
働き者な手を握り
そっと僕の腕に
寮母さんの左腕をからませた
寮母さんは嫌がることもなく
そっと僕に寄り添って
ゆっくりとした歩調で
案内してくれた
ときどき僕の腕に
寮母さんの柔らかな胸があたり
そのたびに僕の胸は高鳴った
中庭へ続く廊下は
ひっそりとしていた
引き戸を開け
寮母さんは
見えない私に言った
「まだ咲いていますね」
「でももう終わりですね」と
明るく僕に教えてくれた
僕が肩を落としていると
「ちょっと外へ出てみましょう」と
僕を促し
中庭へ出た
中庭を
悠々と占拠した
蝋梅たちを
溌剌として
明るく
元気な寮母さんが
僕と肩を並べ
案内してくれた
中庭を彩る
一本一本の蝋梅が
リハの歴史を語っていた
俄に一本の蝋梅が
僕に語りかけた
「私はここを巣立っていった多くの人を見て来たよ」
「君のことも記憶に残しておくよ」と…
その厳かな言葉が
僕の心に響いてきた
その時僕の瞳から
一粒の涙が光り
胸を流れた
「ここにはまだ沢山咲いていますよ」と
寮母さんはしなやかな手で
僕の両手を
そっと包み
蝋梅の花に
優しく触れさせてくれた
僕の両掌で
うなだれた蝋梅の花は
すでに香りはなく
弱弱しく散りかけていた
僕は寮母さんの
暖かい気持ちに
心がホッとして
胸はキュンっとなり
頭はぽうっとなった
残念だが
蝋梅の香りは
すでに終わってしまっていた
しかしそれ以上に
容姿端麗で
頭脳明晰で
思いやり豊かな香りが
僕の心から溢れ出した…
それは寮母さんの香りであり
人の思いやりの香りでもあった

※ 容姿端麗(ようしたんれい):美男美女に対する誉め言葉ですが、ある辞書によると、容姿端麗は主に女性に使う言葉で、男性には『眉目秀麗(眉目秀麗)』という言葉を使うことが多いようです。
国リハ(コクリハ):国立障害者リハビリテーションセンター⇔障害を持った人たちが社会生活を送るうえ絵で必要なことを訓練してくれる国の施設。私のような視覚障害者には、鍼師・灸師・あんまマッサージ指圧師の国家資格習得の為に必要なことを勉強する施設でもあります。因みに、国リハで国家試験を受けるために必要な単位を取ると、初めて国家試験を受けられます。

▽ 私は、新年を迎え、蝋梅の花の香りを嗅ぐと寮母さんを思いだすのです。
次の詩は、目を失くしたことをようやく受けとめられた頃、無理やり自分自身に言い聞かせていたことを書いてみた作品です。どうぞ読んでみてください。

〈二度も楽しめる人生〉

人生
楽ありゃ苦もあるさ
人生
山あり谷あり
表現方法は違っても
誰もが
口にするが
誰もが
稀にしか心に留めない言葉
私の場合その谷が
他の人よりも
少しだけ深かった
上らなければならない
山は
少しだけ高かったのである
ただそれだけなのである
そのために
苦は少しだけ
苦しく辛いのであった
しかし…
香辛料の利いた
人生の楽は
みんなのそれより
多きな喜びが用意されていた
しっかり見えていた人生と
失明後の人生と
一度で
二度経験することができた
何事もなく
過ぎ去って行った日々よりも
一日一日を
しっかり踏みしめ歩いた
そんな光の陰は
重く哀哀として
心に積み上げられる
やがて過ぎ去った
春秋は
一コマ一コマが
選り分けられて
悲しみに
彩られた涙は
消えて行く
残った涙は
真珠のような
優しい光を放ち
柔らかな喜びに
ゆらゆら揺らめいて
高く清らかな空に
溶けて行く
やがて哀哀が
明快に変わり
喜怒哀楽に
胸ときめかせ
ありがとうの心に
満たされた時
宇宙を逍遥する
私がいた

※ 哀哀(あいあい):深く悲しむさま。悲しく哀れなさま。
▽ こんな考え方は、青年や働き盛りの人たちには、理解できないかもしれませんね。
こんな詩を書く私は、結局、きれいごとを言っても失明したことにこだわっていたのです。
新しい年を迎え、皆様のご健康とご活躍を祈念いたします。
では今年もよろしくお願いいたします。
石田眞人でした