第十九号 色即是空
森鴎外の『高瀬舟』を先日読み返してみました。十数年前に一度読んで、辛く切ない気持ちになったことを覚えていたために、もう一度読み返してみたのでした。
森鴎外は色々な顔を持っていたようですが、私は作家としてしか知りません。その作品の中で『山椒大夫』や『高瀬舟』は、辛く、切なく、やるせない作品で、胸が締め付けられ、涙が止まりませんでした。
中でも『高瀬舟』は、今でさえも解決できない尊厳死の問題を含んでいるので、考えさせられた極極短い小説でした。
その内容をひとことで説明すると、弟殺しの兄の話です。
時は江戸時代、所は京都でのことです。兄弟は二人だけの家族でした。兄は日雇いで、日銭を稼ぐ毎日でした。弟は、病気で働けず兄の世話を受ける日々を送っています。そんなある日、弟は兄に負担をかけることに耐えきれず、手に剃刀を持ち、のどを切って死のうとします。しかし、力なく、死にきれずにいました。そこに兄が帰ってきたのです。弟は切望します。この刺さったままの剃刀を抜いて、ひと思いに殺してくれと。兄は迷いに迷った末に、弟の苦しむ姿に耐えきれず、弟の願いをかなえたのです。その結果、弟殺しの罪で、島流しにされるという内容の話でした。
こんなに切なくて悲しくて、考えさせられた話はありませんでした。
私は、これ程苦しい経験をしたことはありませんが、この世の中を想うと、すべては空しく思えてきます。人生すべては泡と消えて無くなるような心持にさえ、させられます。
最初の詩は、そんな思いを書いてみました。ただ空しいだけではなく、泡と消えて行くが故に、一瞬一瞬を、思い切り生きて見たいと言う、気持ちを込めました。どうぞ読んでみてください。

※色即是空(しきそくぜくう):現世に存在するあらゆる事物や現象は、すべて実体ではなく、空無であるということ。仏教語。
空無(くうむ):何もない、空しい、虚ろである、という意味の表現。または、そのように何もなく空しいさま。

〈泡沫(うたかた)を生きる〉

森羅万象すべては泡沫
そんなふうに思うことがある
弛まず廻り続けている
この地球も
穏やかに見える
凪な海も
絶えず変化をし続けている
そんな瞬間も
すべては泡沫
瞬間瞬間の積み上げが
この瞬間
そんな玉響な
泡沫を生きている
時には泡沫に沈み
時には泡沫を喜び
泡沫に空しくする
笑って泣いて また笑い
怒って泣いて また笑う
泣いて怒って喜んで
悲しみに満足して
苦しみは踏み台にして
喜びだけを心に刻む
同じ瞬間は
何百何千の
時が移ろいでも
あるはずはない
泡沫夢幻な欲望に目をくれず
宇宙の流れに身体を委ね
森の青さに心を溶かし
風の只中に
全身を遊ばせる
泡沫な時の集合体が
私の人生
泡沫を生きている
故に すべてが虚しく
泡沫な時の流れが
最も大切な時間
・・・・
雲の流れに
泡沫を見て
山すそを流れる川の瀬音に
泡沫を聞き
小鳥たちの歌に
泡沫を楽しむ
夜の帳が下りれば
喋々喃々と
絶えることのない
森の囁きに今を考え
星のまたたきに過去を見て
街の喧噪に未来を想う
・・・・
森羅万象すべては泡沫
思い悩んだ日々も
友と過ごした時の流れも
必死に努力を重ねた日々さえも
すべて泡と消えゆく泡沫
そんなふうに思ったりもする
それだからこそ
今を大切にしたい

※泡沫(うたかた・ほうまつ)ここでは「うたかた」と読んでください:泡のようにはかないもののたとえ。

▽色々な意味で、考えさせられる小説は多いですね。
映画からも、考えさせられた経験もあります。まだ私が、見えている頃、黒澤明監督の作品はほとんど見ました。映画館で見た作品はごく一部ですが、中でも「生きる」や「天国と地獄」は、自らの生き方を考えさせられた映画でした。若いころ夢中で観た映画や読んだ小説は、いつまでも覚えているものですね。
次の詩は、辛く厳しい現実から逃げ出したいと思い悩んでいるときに作ったものです。
しかし、現実から目を背ければ益々狭い世界に入り込んでしまうのでした。自身で作りだした殻の中の世界は、狭く暗い世界です。前は全く見えません。そこから抜け出すためには、自身の力で殻を破るしかないのでした。
十人いれば十人とも、感じ方も考えも違うと思いますが、こんな感じ方もあるのかと、心に止めおいていただけたなら嬉しいです。どうぞ読んでください。

〈頑張って生きている〉

誰でもみんな頑張って生きている
障害になんか負けないで
沢山の不安と闘いながら
いくつもの涙を流して
心の闇をかき分けかき分け
全身でもがいて生きている
生きる意味なんか考える余裕もなく
・・・・
ある朝 勇気を出して
玄関から一歩二歩三歩と踏み出すと
全身が 柔らかな光に包まれた
視覚では認識できなくても
どこまでも続く空の青さが
心いっぱいに 広がり
やがて海に 沈みゆき
空の青さと 海の青さが出会い重なって
地球を青く染めて行く
青い地球と光る星
いくつもの命に溢れた地球
・・・・
僕らは不安を背負って生きている
抱えきれない悲しみにつぶされながら
時には立ち止まり
時には歯を食いしばり
それでも目を開け生きている
どこへ行くのかわからないまま
振り返り振り返り生きている
・・・・
ある朝 希望を見つけようと
窓を開けてみた
すると全身が 柔らかな風に抱かれた
その優しさに 心が宙に舞った
その刹那 時間が止まった
沈み行く身体
自由に飛び回る心
両手を広げ 大気圏を抜け去ると
宇宙を飾る 星たちと出会い
北極星の光に 力をもらい
衝突寸前の 流れ星を右手で払う
北斗七星に挨拶をして
ミルキーウエイの流れにのると
全身が花の香りに満たされる
そっと右手を伸ばすと
一輪の花に触れた。
たった一輪の白百合が
風に揺れ僕においでおいでをしているようだ
今にも折れそうで
それでいて 全身を風に任せてリズムを取っている
まるで 風にすべてを委ねているが如く
楽しそうに風に揺れながら
微笑む白百合に 心を奪われ
一粒の涙が光る
その涙は どんな星よりも
美しく輝いている
柔らかな真珠のように
・・・・
そんな 小さな出会いが
心に満ちて
深い闇が晴れて行く
そして永遠の命を歩み出す
本当の父を求めて
真実の母に出会うために
昨日も今日も明日からも
ゆっくりと旅は続く

▽悲しみも、苦しさも、辛ささえも人生の装飾品の一つですね。
その装飾品があればこそ、喜びも、楽しさも倍増するのですね。
私は、目を失くして沢山のことを教わりました。
ありがとうございました。
石田眞人でした。