第十八号 古きをたずねて
『温故知新(おんこちしん)…古きをたずね、新しきを知る)』この言葉はとても優しい響きを持っていると思いませんか。私は、この温かさと優しさを同時に持ち合わせた『温故知新』という響きが大好きです。
皆さんも長い間生きていると、悩んだり、迷ったり、前に進めなくなったりしたこともあるのではありませんか?そんな時には、古きを訪ねてみることもよいのではないでしょうか。考えもしなかった発見があるかもしれませんよ。
私は何か苦しい出来事や辛い出来事があると、思い出す言葉の一つに『人間万事塞翁が馬』という格言があります。考え方や、見る方向の違いで、すべてのものや出来事は全く違った意味を持ってきますよね。
例えば、ひとつの坂道も上から見れば下り坂になり、下から見れば上り坂になります。あるいは、同じ場所に身を置いて立っても、猫や犬のように低い目線の動物と、人間のように高い目線で見る景色は全く違います。また短所も、後ろから見れば調書になることさえあります。
ある小説に『人は、知識が増えると目線が高くなる。なぜかと言えば、知識と言う踏み台の上に立つからだ。だからこそ学ぶことは大切なのだ』と書いてありました。確かに、知識が増えると視野は広がりますね。
自身の生活圏内の中で、様々な言葉が飛び交っていますが、その中から選りすぐり記憶にとどめるのは、私自身ですよね。
それにしてもどんな言葉に心を寄せるかは、その時々の心の状態で決まりますね。
目を失くしてから街を歩くことの恐怖心は、未だに根強く残っています。それでもことあるごとに、昔読んだ本の内容や、周りの人達から助けられて今日まで来ることができました。
最初の詩は、『道元』という映画の内容と私自身を重ねて作ったものです。
この映画の中で、鎌倉時代の何代目かの征夷大将軍がその悩みを道元に打ち明ける場面がありました。その悩みとは「夢の中に、今まで殺してきた武将などのもののけが毎晩現れて眠れず、気が狂いそうだ」と言うのです。
それに対して道元は「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しからんや」と、言ったのでした。それを聞いた将軍は、激怒して「何を当たり前のことを言っているのだ」と言うのです。その怒りに対する道元の返答は「その通りです。私は当たり前のことを言ったまでです。現実をしっかりと受け入れることが大切なのです」と、顔色も変えず言いました。
苦しい現実を受け止めることほど、困難なこともありませんよね。まさに、私がこの映画を見たのは、そんな苦しい現実の中にいた頃でした。
皆さんは、この会話から何を感じられますか。早速、最初の詩を読んでみてください。心で感じていただけたなら幸いです。

〈あるがままに〉

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しからんや」
この道元禅師の言葉通りに生きることができたなら
こころ穏やかに過ごすことができるのではないかと考える
昔も今も僕のこころは
戦国の代そのものだ
砲煙弾雨な戦いに明け暮れ
疲れ果てて眠りに着く
やがて迎える朝(あした)に
雨夜の月な夢を見る
やむことのない雨
見えることのない青雲
光が消えた月と星
いつ訪れるのか
どれだけ待てば見つけることができるのか
こころを照らす朝の光
柔らかに包んでくれる真白な真綿
悲劇に目を背ける僕
苦しみから逃げている僕
涙は隠し
笑顔で装い
流言飛語にこころを乱す
春秋を重ねた分だけ闇は増し
憎しみに溺れた日々に怯え
逃避した現実の数だけこころが挫け
友の言葉にさえかす耳はなく
ひとりの世界にわらわを掴む
・・・・
春には花にこころを躍らせ
夏にはほととぎすの歌に戯れ
秋には真ん丸な月に酔いしれて
冬には粉雪舞う音に耳を純ませ
こころ清かにし風流を見る
現実を受け入れた時から
光の陰は動きだし
朝を失った眼にも
陽光は見え始める
法界悋気な生き方と
不平や不満の微温湯に
とっぷり浸かっている間は
やがて訪れる朝(あした)にさえ気付かない
責任を転嫁した一日に
夕日の穏やかさはなく
降ろされた帳に 心を乱す
夕べに感謝し
朝(あした)をしっかり見つめれば
ひとつまたひとつと
不安な暗闇は消え
暗中模索な朝にも
光は刺し始める
光が刺せば
花を愛でる心も生まれ
不生不滅(フショウフメツ)な月に我を重ねてみる
朝(あした)には涼やかな風が吹き
熱願冷諦なこころを持って
敬天愛人な人生を歩き始める
利害得喪の念と
栄辱得喪の我を捨て去って
すべてを天に委ねれば
その時からが真の旅立ち
そうして
こころの月に満たされる

※砲煙弾雨(ホウエンダンウ):砲弾を撃ち合う激しい戦い。また、そのさま。
法界悋気(ホウカイリンキ):自分に無関係な人のことに嫉妬すること。また、他人の恋をねたむこと。おかやき。
不生不滅(フショウフメツ):仏語。生じることも滅することもなく、常住・不変であること。悟りの境界をいう。常住。
常住(ジョウジュウ):この場合は、永遠で普遍なことを言う。仏語。
熱願冷諦(ネツガンレイテイ):熱心に願い求めることと、冷静に本質を見極めること。
敬天愛人(ケイテンアイジン):天を敬い、人を愛する。西郷隆盛の言葉ですが、ちょっとだけお借りしました。

▽平成生まれの人たちにとっては、バブルは昔の出来事であり、第二次世界大戦までさかのぼると、歴史上の出来事に昇格されるのではないでしょうか。
私たち昭和30年代に生まれ、青年期をバブル時代を過ごしたものにとっては、まさにそのバブル時代がライブであり、第二次世界大戦はちょっとだけ昔の話になり、明治維新までさかのぼり、初めて歴史上の出来事になるのです。
私の両親世代はお腹いっぱい食事もできなかった、戦争時代を幼少期に過ごし、三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を手に入れることを目標に働いた時代は、青年期でした。
そうして、自分自身に目を転ずれば、私が携帯電話を初めて手にしたのは、30代後半でした。それも自分から進んで購入したのではなく、必要に駆られて渋々買い求めたのでした。20代の頃は、ポケベルと呼ばれたものを持ち歩いていました。
今の若者は子供のころから携帯電話を持ち、今ではスマホを器用に使いこなしているようですね。私が小学生の頃は、家族間でテレビのチャンネル争いがありました。その頃はまだ、テレビは一家に一台の時代でした。平成時代に生まれた人たちは「チャンネル争い」と言う言葉は、死語になってしまったのではないでしょうか。
次の詩は、そんなテレビを題材に作ってみました。
私の小学時代は「チャンネル争い」ではなく「チャンネルを誰に回させるか争い」が、毎日勃発していました。それでは読んでみてください。

〈昭和のテレビ〉

当たり前だという顔をして
子供の俺は言う
「ジュンちゃん チャンネル廻して!」
素直な弟は答える
「うん」
・・・・
兄貴風を吹かして俺は言う
「ジュンちゃん チャンネル廻して!」
面白くない弟は黙ってチャンネルを回す
「…!」
・・・
兄貴面をした俺は言う
「ジュンちゃん チャンネル廻して!」
さすがの弟も怒り出し
ふくれっ面をしてひとこと言い放つ
「なんで俺べー!…」
昔のテレビは
弟がリモコン代わりだったのである
皆さんの家では
誰がリモコンでしたか

※俺べー!:「俺ばかり」と言う、群馬弁。

▽私の子供の頃のテレビは、ダイヤル式でした。もちろんチャンネルを変える方法も
ダイヤルを回すのです。それで何年かすると、そのダイヤル式チャンネルがスポッと取れてしまうのです。
その後のテレビはボタン式になり、初めて今のような赤外線式のリモコンが登場したのは1977年のことだったようです。
しかし、その頃はまだリモコンが主流ではなかったように思います。それを想うと、科学の進歩はめまぐるしいものがありますね。
科学の進歩と比べて、人の心の進歩は、あまりに遅いですね。と言うか、進歩ではなく退化しているようにも思えます。
聞いたところによると、昔の議員さんは、国会議員や地方議員を問わず、自分の財産を削って勤め上げていたようです。議員を終えるころには、やせ細ってしまったと聞いています。
ところが現在は議員をして、ひと財産築いてしまう人すらいるようです。あくまでも聞くところによるとですが!?
勝手なことを書きましたが、お許しください。自分への戒めの意味を込めて…。ありがとうございました。
石田眞人でした