第123号 人はなにで磨くのか
熊谷市周辺でも、秋の深まりを感じさせられる11月になりました。全国では、すっかり紅葉の季節を迎えていることでしょう。私もこの季節のように美しい晩年を迎えたいものです。
それにしても、奇麗な紅葉をもう一度見たいと思うのは、視覚障害者の私にとっては過分な欲望なのでしょうね。
ではまず冒頭に、次の言葉を紹介します。「ダイアモンドはダイアモンドでしか磨けないように、人は人でしか磨けない」。
これは、若いころ、人生の大先輩から教わった言葉です。この言葉を、ご存じの方もたくさんいらっしゃると思いますが、私はこの歳になって、ようやく私なりに深い意味を感じられるようになりました。
初めの詩は、若いころ映画を見て興奮した気持ちを詩にしてみました。その映画は、昭和11年に起きた』2・2・6事件』を映画化したものでした。
この映画を見てまったく正反対な二つの興奮を覚えました。
その一つは「身近な人たちから猛反対を受けても自分の信じる道を突き進もうとする若者の純粋な気持ち」です。
二つ目は「こんな悲しい歴史を、二度と繰り返してはいけない」という気持ちでした。
それでは読んでみてください。

〈この人生(みち)を生きて行く〉

私は
この人生(みち)を行くと
毅然としてそう決めた
永く辛い坂道を
命を賭して歩いて行こうと
決然として胸を張った
両親や
叔父叔母に
帰って来いと泣かれても
極親しい友達に
縁を切るぞと
冷たく言い放されても
知人や
烏合の衆に
後指を刺され
影で
笑われれば笑われるほどに
この人生(みち)を行くと
強く強く
決意した

▽ 内紛や戦争を、二度と繰り返してはいけませんが、あの時代の若者のように「夢中になれることがある」ということだけに焦点を当てると、ある意味幸せといえないこともありませんね。
次の詩は、なぜか心が晴れない朝のことを詩にしてみました。
気圧が低かったためか?自分でも気づかない屈託があったのか?判然とはしませんが、こんなことが時々あります。
それでは、読んでみてください。

〈釈然としない〉

今朝は
日の出の時刻が過ぎたのに
太陽は出ない
暗褐色な雲は垂れ込め
身体も心も
冷え冷えとし
気持ちは晴れず
頭は重く
何時しか外は
雪になった
・・・・
たった今
屈託を抱えてしまった
ガスコンロの右片方が
なぜか点火しない
大いに気になり
その理由を知りたい
そう思えば思う程
気持ちは晴れず
心はすっきりしない
・・・・
どいつもこいつも
勝手なことばかりを言ってる
あいつもそいつも
人のことなど御構い無しだ
イライラする
ストレスが溜まる
釈然としない
気持ちは落ち込むばかりだ
・・・・
丹田(たんでん)に力を入れ
気合を全身に込め
ヨッシャーと腹の中で叫び
身体に鞭を入れ
心に喝を入れる
すると次の瞬間
全身のもやもやがすっ飛んで
空を覆う黒雲どもが
散り散りになって吹っ飛んだ
・・・・
そんな簡単に
心も空も
晴れたらいいのにな
と…思ったりもする

※ 丹田(たんでん):へそ下三寸にあるツボ。気が集まるところ。

▽ 今年の11月の連休は晴れましたが、自分を顧みると、私はご覧いただいたように、自分のことを棚に上げて勝手なことばかりを考えているのです。大きなお心でお付き合いくださいませ。
今回も読んでくださりありがとうございました。
小澤真人でした