第七十八号 呉越同舟
私たちの住む地球は、まるで呉越同舟(ごえつどうしゅう)だと思いませんか。
敵も味方も、右や左の思想を持つ人たちも、障害を持つ私のような人たちも、また、善人と言われる人たちも、悪人と言われる人たちも、同じ地球号で生活しています。そんな人たちでも利害が一致すれば、団結してことに臨むことができます。
但し、その利害が大きな問題になります。「自分たちだけ(つまり、アメリカファアストのような)が、良い思いができればいい」というような利害では困ります。
できるだけ多くの国や人たちが、平和で安心できる世の中でなければならないのではないでしょうか。
これはあくまでも、私個人の考えなので、聞き流してください。
初めの詩は、見えなくなってから、少しずつ楽しみを見つけられるようになったころに作った詩です。石田眞人は、こんなことを考えて遊んでいるのかと、心の内を覗いてみてください。ではどうぞ読んでください。

※呉越同舟(ごえつどうしゅう):仲の悪い者同士や敵味方が、同じ場所や境遇にいること。本来は、仲の悪い者同士でも、同じ災難や利害が一致すれば、協力したり助け合ったりするたとえ。

〈ひねもす〉
ごろごろぷらぷら
ぼうっとして
ひねもす
悠然と流れる雲に
縦横無尽に
心を遊ばせて見た
見えない目になってから
外を見ることは
諦めて
心の中を
見ている私
ぐっと…
カレーライスに
心が揺れて
ぐうぐうと
お腹の虫が騒ぎだす
鼻を衝く
香辛料の刺激
全身から
噴き出す汗
口を潤す
大量の唾液
ハフハフ
あつあつな じゃが芋
とろけてしまう
柔らかな豚バラ
大きく開けた
口もとに
何とも言えぬ
笑顔がこぼれる
そっと…
愛する人に
心を向けてみた
星を見つめる
瞳は光り
思いやりに
あふれる心は
柔らかい
君の語る言葉には
ラベンダーの心地よい香りが
溢れだし
差し出す両の指からは
お日さまの温もりに包まれる
ふたり身体を寄せ合えば
心はふあっと熔けてゆく
ふっと…
憧れの君に心を向けてみた
遠く離れているようで
いつも心にいるのがあなた
屹立する山々
流れる清流
足元に咲く
小さなたんぽぽ
躓きの基になる
小石さえ
あなたが下さる
潤沢な愛
そんな愛に ふれたなら
真珠な涙が あふれ出す

※ ひめもす(終日⇔この場合でのよみかた:ひねもす):漢字で書くとお分かりのように、終日、一日中、朝から晩までという意にになります。→ただ「ひねもす」という言葉の響きは、なんとなくいいと思いませんか?

▽ この詩は、「ひねもす」という言葉を使いたくて作ったものでした。
私の子供の頃住んでいた家は、南側に窓も仕切りもない、縁側がありました。
その縁側に寝転ぶと、気持ちの良い風が、身体を撫でて吹き抜けるのです。
私は、そんな縁側が大好きで、寝ころんで本を読んだり、宿題をやったり、昼寝をしたりしていました。
次の詩は、そんな思い出を詩にしてみたものです。
まだ祖父母が健在の頃には、十五夜お月様の日になると、この縁側に、ススキや団子を備えたものでした。どうぞ読んでください。

〈そこはかとなく〉

そこはかとなく
雲は流れ
縁側でひねもす
横になり
清流の如き蒼穹に
目を向けて
穢れた己の心を想う
いつの間にか
ここまで生きてきて
数えきれない一期一会に
心をさらせば
胸に微かな動揺が走る
・・・・
そこはかとなく
風は流れ
縁側でひねもす
横になり
清流のごとき風に
全身を任せて
憧れの君を想う
いつの日にか
心身を清め
憧れの君に
ふさわしい
自分になろうと思う

※ そこはかとなく:なんとなく。どことなくという意味。

▽ 小説の中では、「なんとなく」とは書かずに「そこはかとなく」と書くケースが多いように思います。
話は変わりますが、私は、子供の頃から、瞬間湯沸かし器のようでした。一瞬のうちに、頭に血が上り、突然口から吐き出す言葉が悪罵になってしまうのでした。ただ、かろうじて手を挙げることは抑えていました。
そのことを想いだすと、恥ずかしさで、顔が火を噴いたように赤くなるのです。
こんかいも、最後までお付き合いくださりありがとうございました。
石田眞人でした