第六十九号 歴史を作るもの
ある日私は、戦争や内紛のニュースを観てふと考えました。何が正しくて何が間違っているのか、何をもって善悪を決めるのだろうか、絶対的正義はあるのかと…です。
そこで、歴史を振り返ってみました。地球の誕生、また太陽系や銀河系、果てはこの大宇宙が起こってから、数億年あるいは数十億年とも考えられているようです。
それからまた何年も経て、お釈迦様が誕生したのは今年で2647年になると言われ、イエスキリストが誕生してから今年で僅か2千27年から2千29年余りと言われています。
そうして、仏教やキリスト教やイスラム教の3大宗教が、世界の文明や文化を作ってきたことは、自明の事実です。
日本国を世界から切り離してみると、古代に起こった日本特有の神道や中国から伝わってきた儒学や仏教を基準にして道徳が形作られました。
大宇宙が作られてから、長い長い歳月を経て地球が起こり、それからまた幾星霜を経てお釈迦様やイエスキリストや孔子様が生まれ、それから数百数千年を経て文明、文化が形成されてきました。
最近の出来事には、共産主義の中心国であったソビエト連邦がなくなり、自由主義国のリーダーであるアメリカ合衆国の市場経済は破綻しました。
これらの出来事から見えてくるのは、ソ連方式の共産思想の経済論(マルクス経済論)では国は成り立たず、アメリカ方式の行きすぎた競争主義の市場経済では、経済はいつか破綻することを、歴史が証明してくれたということです。
大きな話になってしまいましたが、間違いのないことは、地球上の森羅万象のリーダーは私たち人間一人ひとりだと言うことです。それを想うと、私たちの一挙一動が今を作り、ひいては歴史を作っているのだと気付いたのでした。
始めの詩は、東西冷戦時に読んだ、世界情勢の本を思い出して書いてみたものです。考え方は様々だと思いますが、こんな考えもあるのかと、軽い気持ちで読んでください。
ただ、今また戦争が勃発したことに、思いを寄せてここに載せてもらいました。
一日も早く内紛や戦争のない世界になりますようにと祈念してやみません。

〈終戦の日に考える〉

終戦の日に考えた
愛国心って悪者?
テレビのニュースを見て考えた
どうして隣人愛が希薄になったの?
・・・・
左翼と言われる人たちは
愛国心が戦争を生むと云い
国旗掲揚を拒み
国歌斉唱を悪とした
右翼と言われる人たちは
愛国心を盾にして
極端なナショナリズムに縋っている
日本ファーストな民族主義が
かつて226(ニイニイロク)事件や
世界戦争のような
暴挙にでた
歴史を振り返ると
両者ともに頭をかしげたくなる
当時のソ連は
世界赤化を叫び
覇権主義に走り
ソ連の支局として造られた
日本共産党は
日本の協賛革命には失敗したが
愛国心を失くすことには成功した
「戦争反対」と
声高に叫ぶ人たちがテレビに映し出される
そんな心優しい人たちは
右や左の偏った思想の持ち主に
うまく誘導されているように
思えてならない
もちろん誰もが
戦争よりも平和が好きだ
世界戦争に勝利した
アメリカは
日本に軍隊を置き
沖縄の人たちを苦しめる
右へ傾いてもだめ
左へ傾いてもだめ
だとすれば
前か後か
上か下か
どっちを向いたらいいのだろう
何が善で何が悪なのか
私にはわからない
ほんの僅かな
右や左の
間違った思想の持ち主に誘導されて
真の愛国心や
隣人愛を忘れかけた私たち
もう一度
家族同士愛する心を思いだし
近所で助け合う習慣を取り戻し
日本の国を
誇れる心を持ちたいと思う
親鸞は言った
「善悪を超える存在は 愛と許ししかない」と
孔子は言った
「一番大切なのは思い遣りだ」と
イエスは言った
「愛がなければすべては虚しい」と
私は決めた
今日も確かな
歩みを刻んで行こうと

▽ 30年以上前の話になりますが、当時自民党の幹事長だった小沢一郎衆議院議員は、「世界で最も、理想的な社会主義国家は、日本だ」と言っていました。
話は変わりますが、戦争とは…過去の負の遺産だとばかり考えていた私でしたが、プーチン率いるロシアの蛮行をニュースで知ったとき、大きなショックを受けました。
ロシアのウクライナ侵略だけではなく、世界中では、内紛やテロなどが、絶えず勃発しているのですよね。
次の詩は、気分を変えて、幸せになるにはどうしたらいいのだろうと考えたことを書いたものを載せてもらいました。
皆さん賛否両論あると思いますが、『幸せ』は誰にも共通するテーマだと思うので、自分自身にとっての幸せ観を考えてみても楽しいと思います。どうぞ読んでください。

〈幸せに生きるには〉

他人の善いところは
鋭敏な目で見つけ
小さなことでも見逃さず
他人の悪いところは
心を鈍感にして
知らんぷりを決め込む
それでも
他人の嫌なところが
目についたなら
我が心の
小ささと
卑しさを反省し
自分の行動や
想いを変えてみる
それが幸せに生きるこつ
ではないだろうか?

▽ 私はいつも「平らかな気持ち」で過ごしたいと願っています。しかし、今の世の中は、『竹林の七賢』のように、地域社会から隔絶して生きるのは難しいことですね。
私なりに考えた幸せ観は、自分個人の幸せよりも、みんなで作る幸せの方が大きいのではないかということです。
やはり、社会の一員として生きるには、自国を愛する気持ちや、人をおもいやる気持ちを持ちたいと考えます。もちろんこのことは、自分自身に言い聞かせていることなのですが…
今回も、私の勝手な思い込みを書いてしまいました。どうかお許しください。
最後まで辛抱して読んでくださりありがとうございました。

※竹林の七賢(ちくりんのしちけん):中国、晋(しん)の時代に、俗塵(ぞくじん)を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠士。日本では、近世、障屏画(しょうへいが)の主題として取り上げられた。

石田眞人でした