第六十八号 想い出重ね
皆さんは、「性善説」と「性悪説」に対して友達と議論をした経験はありませんか。
私は、まだまだ純粋な心を持っていた頃に、クラスメイトと話したことがありました。その時には、確か性善説の立場を取っていたと記憶しています。
ただ、テレビのニュースを観るたびに、あまりにも悪意に満ちた事件が多いので、その自説は萎えてしまいます。
話は変わりますが、時々、私は想うのですが、この自然界には不必要な出来事はないのではないかと…それは物理的なものや精神的なものに限らずです。
以前読んだ伊坂幸太郎さんの本に「人を喜ばせることは、自分の喜びにもなる」と書いてありました。
私は若いころ、調理の仕事を経験しました。その時に『美味しく出来上がった料理を自分で食べて感じる喜びよりも、他人に「美味しかったよ」と喜ばれる喜びの方が数倍嬉しいこと』を発見したのでした。
これも、人生をより良く生きるための方程式の一つではないでしょうか。
初めの詩は、見えなくなって、いよいよ車の運転は無理になり、これから生きて行けるのだろうかと、あるいは生きて行くためにはどうやって生活費を稼ごうか、などと考えた頃を思い出して書いたものです。
同じ視覚障害者でも、個人差はありますが、石田眞人はこんなふうに思ったのかと、感じてくれたなら嬉しいです。
どうぞ読んでください。

〈想い出重ね〉

あなたとの
想い出の中で
私は生きている
目を失くしてから
生きることへの
不安をぬぐい切れずに
何度死にたいと思ったことか
その度に
重ねた想い出が
そんな思いをとどめてくれた
・・・・
家族との
重ねた春秋が
生きる力をくれた
人間関係と言う名の
蟻地獄から
抜け出ることができずに
もがいている時に
父の笑顔と
母の言葉が
勇気をくれた
・・・・
多くの思いやりに
励まされ
ほんの少しの悪意から
奮起する力を貰い
想い出を重ねるたびに
心は強くなった
煌煌と瞬く星と
満ち欠けを重ねる月の
想い出だけで
生きて行ける気がする
・・・
笑うこと
それは想い出重ね
涙を流すこと
それは想い出重ね
もがき苦しむこと
それは想い出重ね
人は誰でも
星の数ほども
想い出を重ねて
今日も生きている

▽ 10人いれば10通りの、100人いれば100通りの思い出はあるのではないでしょうか。
その思い出には、喜怒哀楽様々な出来事がありますが、中でも辛く苦しかった思い出の方が多かったように私は想います。皆さんはいかがですか。
次の詩は、まだ見えている頃を想いだし、疲れ果てて向かえた黄昏時と向き合いながら、明日を想い、また頑張ろうと自分自身を励まして作ったものです。
どうぞ読んでください。

〈夕暮れ時〉

初夏の日暮は
美しく
紅く染まる西の空に
希望を見い出し
黄昏時の
穹蒼を翔る
・・・・
夕暮れて行く空の
儚さ(はかなさ)を見ながら
漠然とした思いで
今日を反省し
明日を想う
訳もなくセンチメンタルになる玉響な時
・・・・
夕焼け色に染められた
西の空と
遠近から漂い流れる
味噌汁の匂いが
押さえつけている気持ちを破り
ホームシックを誘う
・・・・
西を流れ行く紅い雲に
希望を託せば
未来の自分に
心は馳せて
あすもまた誠心誠意生きてみようと
心に刻む

※ 穹蒼(きゅうそう):広い空のこと。因みに、蒼穹(そうきゅう)は青空のこと。
同じ空を指す言葉ですが、使い分けてみました。

▽ 私は高校を卒業すると同時に、就職をして東京に住むようになったのですが、無意識のうちに、トラックのナンバープレートを見るようになりました。
そうして、私の故郷である群馬ナンバーを見つけることが、いつの間にか私だけのささやかな喜びになっていました。
今想うと、気付かないうちにホームシックになっていたのでした。皆さんにはそんな経験はありませんでしたか。
今回も、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
石田眞人でした