第四十五号 見上げてみれば
いつの頃からかはわかりませんが、昔から『戦争に勝者はいない」と言われています。穿った言い方をすれば、その目的やその行動が正しいか否かに関わらず、戦争のような争いごとは、絶対にやってはいけないと言うことですよね。ロシアのプーチン大統領のような、力ずくで他国を奪い取ろうとする覇権主義は間違っていると思うのです。ロシアの侵攻はただ地獄を生み出しただけのように感じてなりません。ウクライナにとっても、ロシアにとっても、世界の諸国に対してさえも、益は無く悲劇的で残念な歴史を刻み込んだだけだったように思えます。
想い返せば、今年も新型コロナウイルス問題から、ロシアのウクライナへの侵攻、そして北海道の知床半島観光船の沈没、果ては、4630万円の誤送金、コロナ給付金詐欺など、話題には事欠きませんでした。
しかし、悪いニュースが目立つばかりで、良いニュースや微笑ましい話題はあまり記憶に残っていません。
話は全く変わりますが、私が小学校二年生の時の、クラス担任の先生が出した宿題のひとつに「その日に習った漢字を用いて、日記をつけること」という私にとっては難しい課題がありました。その日記を母は大切に保管していたのですが、それを改めて読んでみると『今日は何も日記に書くことがないから空を見上げてみた』と書いてあるのでした。
どうやら私は、子供の頃から青空が好きだったようです。
初めの詩は、晴天の蒼穹を題材にして書いたものです。どうぞ読んでください。

〈夏の初めに〉

或る穏やかな初夏の朝
気の向くままに空を見上げた
キラキラ煌めく小さな雲が
風をお腹に含んで
ぷかぷかぷかと
涼やかに青さを泳ぐ
「どこまで行くの」と
問いかけても
ただ静々と
気持ち良さげに浮いている
僕は目を糸にして想った
ただ ただ
ありふれた日常の幸せを
そうして そうして
ちっぽけなちっぽけな自分を

▽ この詩は、私が見えなくなってから書いた、大昔を思い慕う心象風景でした。
今回の投稿で触れましたが、私が小学二年生の時に書いた日記には、先生が必ずコメントをくれました。そのコメントで一番多かったのが『句点を忘れずつけましょう』でした。二番目に多かったのは『今日習った漢字は何処にあるのかな』でした。
そんな中にも、稀に褒められたりもしました。そのコメントは「眞人君の気持ちが良く書けていますね」や「眞人君の気持ちが手に取るように見えます」というコメントでした。
次の詩は、好きなもの、好きなことを思い描いて、気持ちを明るくしようと言う努力から生まれた詩です。皆さんはどんなこと、あるいはどんなものが好きですか。
どうぞ読んでください。

〈見えない私〉

見えない私は
太陽が大好き
燦燦と光り輝き
私に東西南北を教えてくれる
青い空を一層青くし
大地の香りを際立たせ
浩然の気を届けてくれる
そんな太陽が大好き
・・・・
見えない私は
利根川が大好き
浩々と水を湛え
滔々とした流れは絶えず
大地を潤し海を生かす
上流は瀬音高く清かで
沢山の思い出を抱えていてくれる
そんな利根川が大好き
・・・・
見えない私は
愛宕さまの大樹が大好き
子供六人でも抱えきれないほど太い幹
一軒の家を覆いつくすほど広く長い枝
大樹の根元に寝転べば
そよ風涼やかに汗もひき
子供たちを遊ばせる
そんな愛宕さまの大樹が大好き
・・・・
見えない私は
雷様が大好き
子供の頃の夏休み
夕方には決まってにわか雨を連れてきて
手の届きそうな雲が唸りだし
大地は囂々と震え
小道を川に変えてしまう
そんな雷様が大好き
・・・・
見えない私は
あなたが大好き
人のために労苦を惜しまず
花を愛して汗を流す
時には厳しく
時には穏やかに
すべてを包んでくれる
そんなあなたが大好き

※ 浩然の気(こうぜんのき):天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気。物事にとらわれない、おおらかな心持ち。
浩々(こうこう):水がみなぎり、広がっているさま。果てしなく広々としているさま。
滔々(とうとう):水がとどまることなく流れるさま。次から次へとよどみなく話すさま。物事が、一つの方向へよどみなく流れ向かうさま。
愛宕さま:私の実家の近くにあり、よく友達と遊んだ神社。愛宕神社。

▽ 神社の境内と言えば、狭く暗いイメージを持つ方もいると思いますが、愛宕さま の境内は、子供たちなら三角ベースの野球ができる程の広さがあり、明るく太陽が照っていて、学校が終わると近所の子たちが集まり、よく遊び場と化していました。その境内を囲むように、二本の大樹が聳えていたのです。雨の日は雨宿りができ、夏の太陽をすっかり遮るほどの木蔭では、蚊に刺されることも構わず、昼寝をしていました。一度は、帰ってこない私を、母が迎えに来て、昼寝中の私を引っ張って帰って行ったこともありました。
今でも覚えているのですが、若い男女がデート場として使っていたこともありました。当時小学生だった私たちは、その様子を隠れて、興味津々に覗いていたのでした。このことは、笑える話でしょう!?
今回もありがとうございました。
石田眞人でした