第四十四号 心を澄ませば
皆さんも、柳生十兵衛をご存じのことと思います。
柳生十兵衛は、江戸時代初期の剣豪です。二代将軍徳川秀忠の剣術指南役を務めた父から生まれ、十兵衛自身は三代将軍家光の剣術指南役を務めました。その柳生家に伝わる剣法が『柳生新陰流』です。この憲法の奥義は『水月』です。その神髄は「波ひとつない平らかな水面(みなも)に美しく月が映るように、どんな時にでも平常心を保つことができるなら相手の心(動き)が見えてくる」…確かそんな内容だったと思います。実際に、そんな境地にたどり着いた剣士はいなかったようです。
私は、まだ若い頃ですが、正義感ぶって色々なことに口を出し、不満をぶつけることが格好良いことのように思いこんでいた時期がありました。その時には、心が千々に乱れて治まりが悪かったことを覚えています。
そんなある日に見つけた言葉は『行雲流水』でした。以前にも紹介した四文字熟語ですが、その意味を辞書で調べてみると「空を行く雲や、流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。」
もう一つの辞書には「①自然のままに、よどみなく移りすぎることのたとえ。②何事にも執着せずに自然のなりゆきにまかせて行動することのたとえ。③諸国を行脚する禅僧のたとえ。」とありました。私は、不思議にこの言葉を唱えると肩の力が抜けて、気持ちが落ち着くような錯覚に陥るのです。
最初の詩は、国リハ時代に、憂鬱な梅雨空が広がっている季節に作ったものです。晴耕雨読な生活ができない私は、宮沢賢治のように『雨にも負けず』という境地にはなれないのでした。どうぞ読んでください。

〈雲外〉

今日も曇天です
太陽は雲の上の
そのまた上の上なのです
どうやら今年は
一旦空に雲が張り出すと
一日や二日では拭いきれないようです
今度の雨は一日で止みましたが
四日たっても太陽は顔を出しません
雲上遥か彼方には
爽やかな蒼穹と
燦然と光りを放つ太陽が
雲外を明るく照らしていることでしょう
・・・・
こうも毎日重苦しいお天気が続くと
気持ちが鬱屈してしまいます
そろそろ元気に太陽が
両手を振って
笑顔を向けてくれないと
僕の心は爆発しそうです
原発よりもたくさんの
放射能をまき散らすかもしれません
・・・・
今日も曇天なのです
窓を大きく開いてみても
眠い目をこすってみても
僕の見えない目を開いても
暗く重い雲が
空一面に張り巡らして
一条の光さえ
ない世界です
少しずつ今日も
また少し
心に鬱積するのは
重く怠い
孤独と愁いの
バームクーヘンな二重層です
そんな塵芥を一気に吹き飛ばす
南風を待ちわびています
・・・・
窓を開けてみると
微かな雨音が
聞こえてきました
毎月第三日曜は
お出かけの日なのに
今日も重苦しい一日なのです
雲の上では
きっと夏の明るい太陽が
両手を振ってニコニコと
私たちの笑顔を
待っていることでしょう

▽ 国リハ時代は、毎月第三土曜に、入間市で治療院を開業している先輩を頼って、鍼灸マッサージの実践的な勉強に行っていました。その治療院は、西武線の入間市駅から徒歩15分くらいの距離があったために、傘をさして歩いてゆくには、見えない私にとっては、結構な負担でした。それでなおさら、憂鬱になったのです。
次は、気分を一掃して楽しい詩を紹介します。
この詩は、国リハ時代の休日の良く晴れた初夏の朝、地球の香りを運ぶ柔らかな風が流れるグラウンドを歩きながら、心をすべて開放し、宇宙に遊ばせて書いてみたものです。私のうきうきを感じていただけたなら幸いです。御笑覧ください。

〈風に吹かれて〉

風の青さに
魅せられて
両手を広げ
胸を張り
ふあっと風に
身を任す
真綿な風に
くるまれて
高い空まで
舞い上がり
心は青さに
溶けて行く
ぽっかり浮かぶ
雲に乗り
地球を彩る
地上の星
眼下に広がる
パノラマは
香りも高き
ラベンダーのジュータン
そこに本当の
幸せを見る
風の香りに
ときめいて
ふたりが出会い
愛生まれ
愛と愛とで
愛育て
その愛がまた
愛を生む
・・・・
南の風に
ふあっと浮いて
優しい光に
身を任せ
赤城の裾野を
下に見て
北極星まで
翔け上り
上弦の月に
腰かけて
街の灯りに
微笑んで
ミルキーウエイで
沐浴すれば
心の垢も
透き通り
醇乎な僕を
取り戻す
そこで本当の
自分と出会う
風の香りに
ときめいて
ふたりが出会い
愛生まれ
愛と愛とで
愛育て
その愛がまた
愛を生む

▽ 皆さんもご存じの、スピッツというグループに♪チェリー♪という歌がありますが、その歌詞に♪愛してるの響きだけで強くなれる気がする♪という素敵な歌詞があります。その歌詞のように、愛という言葉は、不思議な力を持つと思いませんか?!
昔の日本では、あまり馴染みのない言葉でしたが、海外から多くの文化が輸入されるにしたがって、西洋映画や洋楽のレコードに親しむ若者が増えました。そうして、愛という言葉もメジャーになって行ったように思えます。
日本では、儒教や仏教になじみが深いので、慈悲や思いやりという言葉が多く使われますが、愛という言葉に、すべては包括されるように感じます。
ここまでお付き合いくださり、今回もありがとうございました。
石田眞人でした