第二十五号 人恋しくて
「黄昏て 鎮守の杜に蝉の声」…これは私のつたない俳句ですが、その昔奥州平泉に住んでいる頃、季節が移ろい、夕暮れ時にかなかな蝉の声が森に響き渡ると、そこはかとなく寂しさが募り、人恋しくなったものでした。
それは、東北地方と言う土地柄のせいなのか、平泉の歴史がそうさせるのかはわかりませんが、心が握り潰されるような、切なさに襲われたものでした。
以前に、ストレスも生きて行く上には必要だと書いたことがありました。苦労も人生を豊かにしてくれるとも書きました。それは私の拙い経験から出した結論ですが、まんざら間違ってはいないと思います。そう考えると、寂しい気持ちも人恋しさに繋がり、ひいては他人を大切にすることに繋がって行くのではないでしょうか。そう想思うと、寂しいこともまた大切なことであり、また必要な経験でもあると言えると思えてきます。
話は変わりますが、ひとの才能とは何でしょうか。考えたことはありますか。突然才能のことを持ち出したのは、先日読んだ本の中に人の才能とは何ぞやと書いてあったからです。才能と一口で言うと、勉学や、芸術や、運動に優れていることが思い起こされますがそれ以外にも、粘り強さ、忍耐強さ、一つのことを飽きずに長く続けられることなども、立派な才能だとその本には書いてありました。次のことは単純に私の考えにすぎませんが、素直で人を信じられることや他人の悪口を言わないことも才能ではないでしょうか。そう考えると、障害を持っていても、それぞれ違った才能の持ち主も、沢山いることでしょう。そんな才能を引き出せる人や見いだせる人も広い心の持ち主であると同時に、才能の持ち主だと思います。
これは知人から聞いた話ですが、視覚障害者の中には、点字を二行一度に読んで頭の中で文章を繋げてしまう人がいたそうです。もっとすごいのは、四行まとめて指で読んでしまう人もいたそうです。点字の苦手な私には、信じられません…
初めの詩は、人恋しさを前面に出した詩です。
皆さんは、どんな時に人恋しくなりますか。いつも考えないようなことを改めて考えてみることもたまには良いのではないでしょうか。寂しさを感じ、人恋しくなることで人を思い、その想った人の才能と出会うこともありますね。読んでみてください。

<寄り添う人がいればこそ>

「あきらめることが一番悔しい」
と言ったプロ野球選手がいた
私も同感だ
今日まで努力してきた自分がいる
ここまで辛抱してきた日々
落涙は胸を濡らし
流汗は池を造り
鮮血は淋漓として溢れ
笑顔を輝かせ
春秋を重ねることで
歴史を作り続けた
・・・・
寄り添える人がいればこそ
喜びは 歓喜雀躍と化し
暗然として
哀哭したきことまでも
癒されもする
共に泣いてくれる人
それは 今日まで そして 明日からも
私の心を支えてくれる人
共に笑える人
それは丸で 秋桜のような人
共に泣き共に笑える人
それは最愛の人
最愛の人
それは 人生の最後に
最高の笑顔を送りたい人

※ 淋漓(りんり):水・血・汗などのあふれしたたるさま。
春秋(しゅんじゅう):歳月、年月。
歓喜雀躍(かんきじゃくやく):非常に喜んで、こおどりすること。

▽私は、それほど寂しがりやではありませんが、近くに誰かがいてくれることは心強いですね。やはり人間は、助け合いの気持ちが大切なのだと思います。
寄り添うと言えば、妻や仕事仲間のように具体的に近くにいる人だけではなく、科学が進んだ今は、電話やメールなどを通して支えあうこともできます。そう考えると、寄り添う人は日本の何処にいても寄り添ってもらえる時代になったのですね。
次の詩は、誰にも気づかれ無いところで、命を支えてくれている存在にスポットライトを当ててみた詩です。どうぞ、読んでください。

〈ブルースカイ〉

スカイブルーに染められた
穹蒼に向かい
力強く伸びる
いちょうの木も
北風には逆らえず
金色に色づいた葉を
すっかり落としてしまい
風に舞い落ちる
葉っぱに隠れて
小さな小さな銀杏は
恥ずかしそうに顔をだし
独特の匂いが
微かに鼻に届いている
そこに心を向けなければ
見落としそうな可愛い木の実から
蒼穹まで届きそうな
大きくて真っ直ぐな
木に成長するなんて
大地の偉大さには驚かされる
また小さな一粒の銀杏から
強い生命力と
果てしない夢をもらい
私の心には
小さく光る涙と
希望が芽生える
・・・・
秋になり
北風が力を増すと
沢山の落ち葉に
山肌は覆われ
その山肌深くには
音もなくただ黙々と
誰にも築かれないまま
粛然と生まれ
役割を果たし終え
やがて死んで行く小さな虫たちがいる
その仕事ぶりを
認められることもなく
気持ち悪いと
嫌われながらも
虫けらどもと
罵られても
意に返さず
ただ粛々と
与えられた仕事をし
最後には
捕食されることすらある
それでも
不平不満も
愚痴さえも言わず
山懐に
深い厚みを加えて
森羅万象の
命を支えている
こんなところでもまた
命の襷が繋がれる
そうして
小さな命に
胸を熱くし
一粒の涙に
心を潤し
自分の生きざまを
顧みることになる
その結果
命の頂点にいる
我々人間の責任を想う

※ 蒼穹(そうきゅう):あおぞら。
穹蒼(きゅうそう):大空
▽ 倉田百三さんの「出家とその弟子」に書いてありましたが、私たちは、沢山の命をいただいて(食べて)、自身の命を育んでいるのですよね。
そんなことを考えてみると、新しい自分を見つけられるかもしれませんね。
私は、障害を持ってから、国や社会や、多くの人達のご厚意に助けられて生きていることを感じられるようになりました。ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。
石田眞人でした