第十二号 歴史から学ぶもの

『私と小鳥と鈴と…
私が両手を広げてもお空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように地べたを速くは走れない
私が体をゆすっても奇麗な音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のように沢山な歌は知らないよ
鈴と小鳥とそれから私
みんな違ってみんないい』

これは、私の好きな金子みすゞさんの代表的な詩です。ご存じの方もいらっしゃると思います。
私は障害を持ってから、みんな違ってみんな良い、と思うようになりました。本音を言えば、そう思わなければ苦しかったことも事実です。
話は変わりますが、雪の降る寒い日の明け方に目が覚めると、昭和11年2月26日に起きた事件を考えてしまいます。私はまだ三十前だったと思いますが、226事件の小説を読み、映画も見ました。その時受けたショックは今でも覚えています。その頃の見本には、二度と戻りたくありませんよね。
歴史を学ぶと、我々の大先輩が残した傷跡ばかりが目に入ってくるような気がします。ある本に「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」と書いてありましたが、現在歴史を作っている私たちは、過去の歴史から何を学び、未来の子孫に何を残せるのでしょう。などと・・ちょっぴり難しいことを考えたりしてみました。
「そんなこと言ったって ひとりの力で何ができるの?」と、思う方がほとんどではないでしょうか。私も同じです。
しかし、私たちが今住んでいる地域社会も日本国もこの世界も、たったひとりの集合体から始まっていることには違いありません。そのことを思うと、ひとりが変わることから始まり、その連鎖で何かが起こるようにも思えます。
なぜか突然、脈絡もなく、ふと次のようなことを思い出してしまいました。それは…、論語の本や武士道の本に書かれていたことです。
弟子いわく「先生にお尋ねします 人生で一番大切なものをひとことで言うと何ですか」
孔子いわく「それは 思いやりです」
続けて孔子いわく「思いやりとは?自分がされて嫌なことは人にもしないことです」
武士道の本には…
「礼とは 思いやる気持ちを形に表したものです」と、書かれていたのです。
私はこれを読んで、心に光が差し込んできたような感覚になりました。
初めの詩は、自分自身と向き合い、自身の心を観察して作った作品です。まだ若かれし頃、日本以外にも、参加国を訪問した経験があります。そこには、壮大な歴史も恐怖を感じるほどの大自然も残っている代わりに、人間がより良い生活を求め、傷つけた痕跡もありました。自然と人との共存はできないものなのかと感じたものでした。
どうぞ読んでみてください。

〈心の中を見渡して〉

日本 韓国 中国
アラスカを旅した
そこには自然が織りなす
絶景があった
文明文化が作り出した
人類の歴史的財産があった
現代人が傷つけ汚した
傷跡も残っている
私が歩いてみた国は 多くはないが
それでもそこには
数十 数百 数千
数万 数億という
星の数ほどの
歳月の流れがあった
時間的経過に
積み上げられた結果が
眼前に広がっていた
春秋を重ねて来た過去
夢多き未来
それを繋ぐ現代
すべては その時代を生きる
人間の心的な反映ともいえる
・・・・
心を満たす 豊かさ
心に光る 夢と希望
心を育む 愛と命
そんな心が
合わさり積み上げられて
未来を作っている
心に潜む エゴイズム
心を犯す 利害得喪の念
心を曇らす 責任逃れ
そんな心に 穢れ傷つけられて
未来が蝕まれて行く
心の中の風景は
一瞬で築き上げられ
瞬時に消えて無くなる
豊かな時代を手にしたからこそ
心に風穴を開け
隅から隅まで掃除をしてしまおう
・・・・
視力を失くして
暗闇の恐ろしさを知った
視力を失くして
普通のありがたさを知った
視力を失くして
あたりまえに生きられることが
なんて嬉しいのだろうと
涙が溢れるほど感じた
視力を失くして
太陽の優しさと 出会った
視力を失くして
大地の躍動に愛を見た
視力を失くして
風からパワーを貰った
視力を失くして
蝉の声に勇気づけられた
視力を失くして
キンモクセイの香りが
心を柔らかにしてくれた
視力を失くして
雪の舞に頬を凍らせた
視力を失くして
自然のありがたさを知った
いつの日にかそんな大自然に
恩返しのできる日を夢見て
今日も 前進あるのみ

※利害得喪(リガイトクソウの念)とは:利益を得たとか失ったとかに執着する気持ち。
▽皆さんはどんな地方や国を訪問した経験がありますか?そうして何を想い、何を感じましたか?
若いころの私は刹那的で何も考えない日々を過ごしてきましたが、いくつかの国を旅して、漠然と何かを感じたような気がしていました。そうこうしているうちに、障害者の仲間入りを果たしたのでした。
次の詩は、障害があることへのわだかまりを捨てたいと思い作ったものです。
私は、近未来には障害者も健常者も動物も植物も共存共栄できる世の中になったなら良いのにな、なんて思います。
ここに出てくる美咲という女の子と、私を重ねて書いてみました。美咲と私を重ねることは少し無理があるでしょうか? この詩はすべて私の空想なので、その点はご容赦ください。

〈風になった女の子〉

小高い丘に横になると
大地の力がひんやりと背中へ伝わった
「そこの雲さん」
六歳を過ぎたばかりの少女が
蒼穹に浮かぶ大きな雲に呼びかけた
太陽の光を遮って
僅かに光るもこもこ雲は
答えて言った
「僕を呼んだのは誰だい」
大きな雲は風に浮かびながら続けて言った
「そこのかわい子ちゃんかい」
女の子は言った
「そうよ!雲さんはどこから来たの」
「僕は東の方から来たのさ」
「どこに行くの」
女の子は顔じゅうを口にして言った
「そんなことは分からないよ」…
「風に吹かれてふわふわさ」
大きな雲は気取って言った
「気持ち良さそうね」
女の子は羨ましそうに言った
「とんでもない!どこへ行くのも風任せだよ」
そして言った
「僕は白鳥のようにもっともっと高く遠く飛びたいのさ」
また言った
「でも今日は君に会えてうれしいよ」
大きな雲が笑いを残し
やがて去り行くと
真夏の風が顔を撫で
太陽が現れた
次には可愛らしい真綿雲がやってきた
柔らかな日差しを受けて
眩しく光る雲は
明るい声で少女に話しかけた
「お名前はなんて言うの」
女の子は答えた
「美咲よ」
「可愛いお名前ね」
綿あめのような雲は
しっとりと言った
「雲さんは兎さんみたいで素敵ね」
山の向こうまで聞こえそうな声で
美咲は言った
「ありがとう…ほほほ」
真っ白な雲は
南風に浮かび小さく笑った
すると ぴょこんとアマガエルが美咲のお腹へ飛び乗った
「カエルさんいらっしゃい」
美咲は微笑んだ
「ねえ早くお家へ帰った方がいいわよ」
子ガエルは言った
「まだ 日は高いわよ」
「もうすぐかみなりさんが来るのよ」
「こんなに空は青いのに」
美咲は問いかけた
「急に風が出てきたでしょう」
腹を思い切り膨らませて
子ガエルが
答えて言うと
黒い入道雲が
山の上に広がってきた
「すごぉい!カエルさんはお天気博士ね」
美咲は驚いた
その直後
ゴロゴロと遠くの空は響き
グウグウと美咲のお腹は鳴いた
・・・・
次の日も学校が終わり
真新しいランドセルをお家へ放り出すと
美咲は丘へ登った
「痛いよ 僕のしっぽを踏んでいるのは誰だよ」
小さな目をした小さなへびが言った
「ごめんなさい」
美咲は左足を上にあげた
「そんなところにあなたがいるなんて思わなかったのよ」
「気を付けてくれよ 痛いじゃないか」
「あなたはどうして足がないの」
首を傾げて美咲が言うと
「君だって左手がないじゃないか」
小さいへびは美咲を見て言った
「そうね 私は平気よ」
「僕だってそうさ 足がないからへびなのさ」
小さい目を丸くして
小さなへびは
元気に言った
「私だって 左手がなくても私は私よ」
美咲は笑い
胸を張った
「アハハハ!」
「おほほほ!」
その時美咲の麦わら帽子が飛ばされた
「あっ!待って」
美咲は走って帽子を追いかけた
「風さん 意地悪しないでよ」
「美咲ちゃん 捕まえてみな」
悪戯小僧な風は
ウインクを投げて言った
美咲は湖畔に立ちお休み中の波に呼びかけた
「そこの白い波さん」
「誰だよ僕を呼ぶのは」
波は眠そうに言った
「起こしちゃってごめんなさい」
「何かようかい」
「私の麦わら帽子を取ってください」
「了解!」
波は言うと
ググッと引いて
ザザザと高く盛り上がり
美咲の帽子を風に乗せて飛ばした
「ありがとう」
すると 鷹が空高く飛んできた
「美咲そろそろ時間だよ」
鷹は山彦に響かせていった
「もうそんな時間なのね」
「私は先に行って待ってるよ」
「わかりました」
美咲は両手を高く広げ
澄みきった空を見上げた
・・・・
そのころ源空寺では
美咲の法事がしめやかに行われていた
去年の今日この日に
美咲は暴走してきたオートバイにはねられ
左腕を失い
天国へ召されたのである
「美咲ちゃん行くわよ」
歌うような声が天から聞こえてきた
その刹那一条の光がさした
「うん」
美咲が答えると
いつの間にかやって来た
鈍色な雲の隙間から
眩いばかりの天使の階段が
伸びて来た
「うんじゃないでしょう はいと言いなさい」
まるで母親のように
優しく天使は言った
その時 美咲は光る風と融合し
風に乗って青い空にきらりと消えた
「は~い」…
美咲の大きな声は
いつまでもいつまでも風に響いていた

▽今この詩を私自身が読んでみると、しめやかにお寺さんで法事が行われている反面、当の本人は天真爛漫に向こうの世界で楽しんでいる様子が、なんだか対照的でおかしいですね。それはまるで、母や家族が私を心配してくれている一方で、私自身は見えないことを楽しんでいる様子と重なります。
障害を持ってから10年が過ぎた今、私が思うのは、障害者も健常者もお互い思いやる気持ちがあれば、その気持ちを表面に出さなくても、それだけで良いのではないかと思うのです。やっぱり、世界平和も自然を守ることも幸せになるための基本も、お互いを思いやる心ではないでしょうか?!思い切って、大きなことを書いてみました。
実は私自身も、思いやる気持ちを持つ努力をしているさなかです。一方的に、私の理想ばかりを書いてしまいましたが、申し訳ないと思っています。
これに懲りずに、これからも私にお付き合いください。
今回の最後にもう一言・・・みんな違って、みんな良い…
ありがとうございました。
石田眞人でした