第九号 僕の細道
私は、61歳になった自身を振り返り、よくここまでたどり着けたなとふと追憶の世界に迷い込むことがあります。それは、私に限ったことではないのではないでしょうか?
皆さんも、人生を振り返ってみるとそれはそれは色々とあったことでしょう!誰もが沢山の後悔や失敗談を持っていることでしょう。健常者も障害者も、誰もかれもが世の中の荒波にのまれない様に前を向き必死にもがき生きているのですよね。
自身で歩んできた道を想起してみると、その節目節目が思われます。
小学校を卒業し中学校では、どんなクラブに入ろうかと考えたこと。受験に合格し高校に進学するときには大人の階段を一歩一歩登っている喜びと九年間一緒に過ごしてきた友と分かれる寂しさと悲しみを感じたこと。高校を卒業し、社会に飛び込んで行くときには多くの不安と大きな希望を感じたこと。
社会人になって、初めて背広に身を包んだ時のこと。社会人として仕事を始め、人間関係の難しさや、仕事を覚えて行く喜びを想ったこと。
結婚し、義父との関係が上手くいかず、苦労しその数十年間の思いと後悔。障害者手帳を申請することを拒み続けた頃の頑固さ、などなど。
思い返してみると、そこには多くの不安と戦っている自分を回想されます。そのころはまだ、障害を持っていなかった私でさえ、不安に押しつぶされそうになったのですから、生まれつき障害を持った人たちは、どんなにか大きな不安の中で生きてきていることでしょうか。そんな不安を、抱えきれずに、転んでしまった人も大勢いるのではないかと思います。そんな私も、転んでは起き転んでは起きの歩みでした。『僕の細道』は、意外に障害物が多いのです。
その昔、転んでしまい、立ち上がろうと努力をしている最中に、コリアン先生(遠藤周作)の「無駄が人生を作る」と書いてある本を読みました。そのころは「私など生きているだけで大いなる無駄」と考えたりもしましたが、コリアン先生のこの著書のこの一文に慰められ、救われた気持ちでした。そこには次のように書いてあったと思います。
『元気で働く時間には経済活動ができるが、入院などの一見すると無駄なような二間は、のちの人生に多大な影響を与える。その時間をどう考えるかで、その後の人生は変わる』
確か、こんな内容だったと記憶しています。遠藤周作さんは、それこそ長い入院生活を経験していますよね。そこから導き出した結論だと私は想います。
私は、現在も『僕の細道』を、寄り道をし、時には炉端に座り込み、青息吐息になりながらも歩み続けているところです。
ところで、話は大きく変わりますが、皆さんは耳をふさいだり、目隠しをして生活をしてみた経験はありますか?生まれつき備わっている五感は、無意識のうちに多くの情報をキャッチしてくれています。それだからこそ、安全を確保できると言えるのではないでしょうか。
五感はそれぞれ大切な役割を果たしていますが、特に聴覚や視覚に障害を持つと、危険を察知する能力は格段に落ちてしまいます。音のない世界、映像のない世界を想像してみてください。
現在の世の中は情報過多と言われていますが、それゆえに健常者の人たちは情報を処理しきれなくなっているようです。その反面、障害者は、情報が足りなくて処理能力を使いきれないでいるのです。
障害を持つ私にとっては、残された感覚と第六感を駆使して危険を察知するための情報を得ています。
五感の内、視覚は80%あるいは90%を占めるとも言われています。それ故に、見えないと匂いや音は貴重な情報源になります。
風の運ぶ様々なものからは、季節を感じ、心動かされ、時には笑顔になり、時には顔をしかめたりすることもあります。始めの詩は、肌で感じる気温や風などが、季節の移ろいをを教えてくれ、危険を教えてくれ、行く道を教えてくれる。そんな詩です。見えない私たちが何から情報を得ているのか?その一端を理解してもらえると思います。

〈風が好き〉
風はいろんな薫りを運んでくる
新鮮な酸素を含んだ 森の薫りを
太陽に暖められた 大地の薫りを
風を巻き走り去った 単車の排気ガスを
落日に沈み行く家々からは
味噌汁やカレーの香りを
あたり一面を黄色に染めて咲く 菜の花からは
蜂蜜の香りを運んでくる
風は薫りを通して いろんな街の顔を見せてくれる
それだから
風が好き
・・・・
風はいろんな音を運んでくる
遠くの森からは よく響くカッコーの鳴く声を
川向うからは 元気に吠える犬の声を
すぐ近くの踏切からは カンカンカンとまさに警鐘そのものを
深夜の北の星月夜からは
連なる山々の鳴き声を
向うの国道17号線からは
間断なく行き交う 自動車の走る喧噪を運んでくる
風は音を通して 危険や安全を教えてくれる
見えない私にとっては
とてもありがたい存在である
それだから
風が好き

▽皆さんも機会があれば、目を瞑り、風に身を任せてみてください。きっとその土地土地で吹く風も違うのでしょうね!?風の大好きな私としては、世界中の風を感じて見れたなら幸せです。
話は変わりますが、先日インターネットを通じ、新聞を読んでいると(実際は聞いているのですが)、新型コロナウイルス問題が始まって以来、自殺者が増えたと書いてありました。新型コロナウイルスとの関連性は解明されていないものの、自殺者が新型コロナウイルス問題が起きて以来増えたことも事実のようです。
私は思うのですが、人生、生きていればこそいろいろな経験をすることができますよね。苦しいこと・悲しいこと・嫌になること・楽しくて歓喜雀躍したこと等々、誰もが経験しているのではないでしょうか。
どちらかと言えば、苦しいことのほうが多かったと、私は感じています。
ある人は「今が一番楽しい」と、私に話してくれました。
私も同感です。私も、今が一番楽しく過ごせています。今が一番と思えたなら、こんなに素敵なことはありませんね。それもこれも、苦しかった経験から教わったのでした。
視覚に障害を持って八年以上たって、  そう思えるようになった気がします。今では見えないことを楽しんでいます。そう思うと、苦労もまんざらではないのかもしれませんね。
しかし、苦労は買ってまでするものではないと思いますが…。
次の作品は、そんな気持ちを込めて書きました。

〈まだ死んだことはないが生きているって楽しい〉

生きているって なんて楽しいのだろう
春の穏やかな 日差しは爽やかで
そよぐ風は 甘い香りを含み
花は 一斉に咲き始め
小鳥たちは 優しく歌い
森の木々は 喋喋喃喃と肩を寄せ合う
生きているってなんて楽しいのだろう
友との会話は 盛りだくさんで
ひとり歩く散歩は 新鮮で
流れるニュースは 華やかで
農家は田畑を耕し 活気にあふれ
海の男たちは大量を喜び合う
・・・・
生きていればこそ
云われのない 陰口を言われ
人間関係に 悩まされ
仕事がうまくいかずに 涙を流し
思いもよらず 事故や病気に困ることもある
生きていればこそ
理不尽さに 腹もたて
悲しみに 涙もし
辛さに 歯を食いしばり
悔しさに地団太を踏み
苦しみに 顔を顰める
生きていればこそ
喜怒哀楽を味わえる
無性に腹立たしい時は
誰もいないところで大声を張り上げ
悲しくてやりきれないときには
音楽を聞き 思いきり涙し
辛さ苦しさに耐えられなくなったら
一度何もかも放り出し
嬉しく楽しい時には
すべてに感謝し気持ちを引き締める
生きていればこそ 人生はやり直せる
ひとつの出会いに 助けられることもあり
純粋な気持ちに心を静めれば
冷静に自分を見ることができ
一歩踏み出す勇気に
今を変えることはでき
真の苦しさを超えた時
人生の喜びを噛みしめる
生きていればこそ
楽しさを味わえる
大小いくつもの山を越えただけ
成長した自分に会え
暗く深い谷を向けると
当たり前が大きな喜びになり
傷が大きく思いだけ
愛し愛されていることに感動し
重ねた人生経験が
未来の自分への蓄積と変わる
・・・・
死のうと何度も思った
見えなくなってから行住坐臥 毎朝毎晩想った
ただ 食べて飲んで 寝て起きるだけの人生は虚しい
しかし 生きていてよかった
見えなくても 今は毎日が楽しい
最後まで生きてみようと 思うことができてから
人生が変わったようだ

※行住坐臥(ギョウジュウザガ)とは:行くことと止まること、座ることと横になることの四つの動作をいう。日常の立ち居振る舞い。一日中のこと。
喋喋喃喃(チョウチョウナンナン)とは:男女がむつまじげに語り合うさま。また、小さい声で親しそうに語り合うさま。

▽私が聴覚障害に関心を持ったきっかけは、西村京太郎さんの書いた「四つの終止符」というサスペンスを読んでからです。その本には、聴こえないことの苦悩が、わかりやすく描写されていたのでした。
話は変わりますが、国リハでは年に一回、十月に運動会を行います。その時には視覚障害者だけではなく、国リハで学ぶ障害者や国リハの学院で学ぶ学生、国リハの全職員など、勢ぞろいするのです。その時に出会った人たちの中に、聴覚障害を持つ18歳の女の子がいました。その女の子はなぜか私を気に入ってくれ、私の手を引き「おじさんは目が見えないのだから私が手を引いてあげる」と言って、あっちにこっちに連れて行ってくれたのです。そんなこともよい思い出になりました。
そんな出会いもあって、感じるのは、五感の中の視覚の占める割合は多いのですが、聴覚に障害を持つことは、それと同等かあるいはそれ以上に、危険を回避することが難しくなってしまうようだということです。
音のない世界ほど、生きて行くうえで困難なことはないのかもしれませんね!?
私自身、まだまだ知らないことばかりで、いくら勉強をしても足らないようです。森羅万象、研究対象は限りありませんよね。
私、石田眞人を研究材料にしてもらっても楽しいです。ありがとうございました。
最後に、来年令和三年が、皆様にとって最良の年でありますように!そして、これからもよろしくお願いします。
石田眞人でした。