第八十号 本当の愛とは?
今年も、残すところあと僅かになりました。
そこで、一年の終わりに、二十年以上前の昔、私が人生に行き詰っていた頃に読んだ本に書いてあった言葉『本当の愛と偽りの愛』をまずは紹介します。それは有名なお坊さんが書いた仏教関係の本だったか?渡辺和子さんの講演集をまとめた本だったか?遠藤周作さんの書いたエッセイ集だったか?マザーテレサの100の言葉だったか?覚えていませんが、本当の愛と偽りの愛について書いてあったことは次の一文です。
『本当の愛(真心からの愛)があれば、偽りの愛(見せかけだけの愛)もある。では偽りの愛とは何か、それは、自分本位の愛、つまり、自分の欲望を満たせばそれでよいという愛のことである』と書いてあるのでした。
また、ある本には『性欲と、愛情をはき違えている人がいる』とも書いてありました。
私がまだ二十代の頃までは、愛という言い方はあまりなく、一般的には思い遣りと言っていたように覚えています。
今は、海外の影響の為なのか、日本の歌にも愛という言葉がふんだんに使われ、一般的にも愛と言う単語は多く聞かれます。
皆さんは、愛について考えてみたことはありませんか。
今年も、残すところ数日になりました。一年を振り返り、自分なりに本当の愛について考えてみても楽しいのではないでしょうか。
初めの詩は、当時の心の内をそのまんま書いたものです。
この時に何があったのかは、今となっては定かではありませんが、心の中は荒廃し、荒れに荒れていたことはお分かりだと思います。
どうぞ読んでみてください。

〈善悪を超えろ〉
ニュースを見れば
腹を立て
危険な運転だと
目くじらを立てる
いつでも心は
震度7
波立ち揺れて大噴火
貴重な時間は逃げて行く
正義感で
心を満たしていたら
いつしか目じりが吊り上り
気持ちの置き場を見失い
木端微塵に破裂して
他人も自分も傷つける
その後はいつでも自己嫌悪
善魔も悪魔も
結局心は地獄に落ちていく
そんな私を
救い出してくれるのは
愛と許しだけ
愛と許しは善悪を超えた穏やかな世界
心を平穏に導く愛と許しとは
もしかして…釈迦牟尼仏
もしかして…イエスキリスト
もしかして…孔子様
そうだそれは
そよ吹く春風
地球を照らすお日さまの光
青い空に映える桜の花
究極の愛と許しは神さまの心
なのかもしれないね

※ 善魔(ぜんま):遠藤周作さんのエッセイ集に乗っていた言葉で、自分なりの正義感や人生観を人にも強要して、悪魔と同じように、結局は人を傷つけてしまう人のことを言うようです。
▽ この頃は、まさに、自分なりの価値観や正義感を物差しにして、他人の言動を批判していたようです。
自身で自身の視野の狭さを、宣伝していた頃の詩でした。私は、まだまだ人間ができていないために、明鏡止水の心境には程遠いようです。
次の詩は、知人の言った言葉を真に受けて作った詩です。その知人は「行田をテーマに詩を書いてくれたら、私が曲を付けます」と大見えを切ったのに、実は、曲など
書けない人だったということが、まもなく分かったのでした。この話も、私自身の間抜けさを、披露した出来事でした。
では読んでください。

〈愛の街行田〉

人の残した歴史と文化
さきたま古墳に清風巻いて
空の青さに浮かぶ城
愛の二乗で愛生んで
あすへの階(きざはし)駆け上れ
花咲く行田
夢の街
・・・・
のぼうの城に力をもらい
幾度も侵略耐え抜いて
恋人集う水上公園
緑の木々に溶け合って
ときめく二人は見つめ合い
息づく行田
恋の街
・・・・
南を流れる荒れる川
愛しのあのことふれあえば
火の花咲かせて頬染める
今ではお尻に敷かれても
ゼリーフライをぱくりと食べて
実りの行田
愛の街
・・・・
北を流れる坂東太郎
赤城おろしに襟立てて
孤独に耐えて歩き出せ
急がず休まずゆっくりと
十万石をほおばれば
歴史の行田
忍ぶ街
・・・・
肩凝り腰痛五十肩
あんまりストレス多すぎて
施術を受けずにいられない
あん摩に指圧にマッサージ
心もうっとりリラックス
愛ある行田
花の街

※ ゼリーフライ:小判型をした、コロッケのようなもので、中身は、おからと野菜などです。行田の人たちのソウルフードです。
のぼうの城:その昔、行田にあったお城『忍城』をテーマに作られた小説の題名。映画にもなりました。のぼうという言葉は「でくの坊の、のぼう」。
▽ 行田に住む人たちは、異口同音に「行田は何もない街だ」と言います。この中の「何もない」という言葉を翻訳すると「観光地も、これと言った名物もない代わりに、災害もない」と言う意味になります。
つまり、行田市は、可もなく不可もなしと言った街だと言っているように思います。
今回もありがとうございました。
石田眞人でした