第三十九号 初心を忘れずに
皆さんは『星の王子様』を読んだことはありますか。この童話の中で、星の王子さまは「大切なものは目には見えないのだよ」と言っています。私もそう思います。目を失くした故に感じることかもしれませんが、大切なもの(こと)ほど目には見えにくいのかもしれません。
障害を持って初めて気付いたのですが、多くの人たちから助けられていることを、ひしひしと感じられるようになりました。そうして、感謝の気持ちを持つことができました。それも、目には見えにくいことのひとつのような気がします。
私の読んだ本の話ばかりになって恐縮ですが、今年になってから、3月に亡くなった西村京太郎さんの『四つの終止符』を読み直してみました。その内容を、少しだけ紹介させて貰いたいと思います。
『この話は、昭和三十年代を生きる三十代の女給(カフェ・バー・キャバレーなどで、客の接待に当たった女性)が主人公です。この女給の同僚には、両親を子供の頃に亡くし、親戚の叔母に育てられた若い女給がいます。この若い女給には、耳の不自由な弟(聾児)がいました。ある日その弟が「つんぼつんぼ」と後ろ指をさされる辛さから、学校の帰り道、線路を歩いていて、後ろから大きな音を立てて走ってきた列車にはねられ死んでしまいます。この悲劇も、列車の汽笛が聞こえない故の出来事でした。姉である若い女給は、弟の死は、障害を持つ弟を恥ずかしく思い、守ってあげられなかった自分に責任があると、強く思い込んでいます。いつの頃からか、その女給二人が働いているバーに、聾者がお酒を飲みにやって来るのです。若い女給は、その聾者と亡くなった弟を重ね合わせて見るようになります。そんなある日、その聾者が母殺しの罪で逮捕されてしまいます。若い女給と主人公の女給は、逮捕された聾者の無実を信じ、助けようと走り回ります。その過程で、聾者の人たちの苦悩を知ることになるのです』この話には、最終的には大どんでん返しがあるのですが、私は切なさで胸が押しつぶされそうになるくらい、聴覚障害者の苦難を知ったのでした。また、この小説の中に、こんなことが書かれています。
「目を瞑れば、盲人の気持ちはわかる。しかし、耳をふさいでも、聾者の気持ちを理解することは難しい。」とです。私は、この言葉の本当の意味するところを理解することはできませんでした。しかし、この小説を読み終わってから、僅かですが理解できたつもりです。生まれつき、または幼児の時に聞こえなくなると、言葉を覚えることは聞こえる人にとっては想像を絶するくらい、困難なことのようです。その難しさは、私たちが外国語を覚えることに匹敵するようです。人間と動物の違いの一つに言葉で物事を考えられるか否かがありますが、言葉を持たない聴覚障害者にとって、考えることがどれほど困難かは多少なりとも理解できると思います。この小説の中で何度か出てくる一文ですが「この子たちは決して聾唖者ではありません。聾者であっても唖者ではないのです。耳は聞こえなくても、声を出す機能は持っているのです」とあります。私たちの認識は、基本的なところからして間違っているのです。
話は変わりますが、そうして今考えるのは、視覚に障害を持ってから、長い年月を経て、目が見えないことに慣れっこになってしまった昨今、もう一度改めて、障害のことを考えて見たいと思うのでした。
始めの詩は、国リハ(コクリハ:国立障害者リハビリテーションセンター)でのことを書いたものです。国リハでは、楽しいことがたくさんありました。その反面、苦しかったことも、苦い経験をさせられたこともありました。
そんな、悲喜こもごもで雑多な気持ちを胸に抱えながら、新所沢駅周辺を歩いた経験を言葉にしてみました。
視覚障害者としての私の原点は、塩原センターであり、国リハなのです。そこから人生を再出発したのです。ある本に『人生は何度でもやり直せるよ。本人にその気さえあればね』と書いてありました。まさにその時期は、私にとっての「人生やり直し」の期間でした。この詩の題名に、色を選んでみましたが、この色は、このころの私の心の内を抽象的に表したものです。どうぞ読んでください。

〈 Green & blue & orange & white 〉

新所沢駅を背にし
小さなスクランブル交差点を
斜めに渡り
ムキムキマンの集う
居酒屋の前を 右折して
コンビニエンスストアー前の
ゼブラゾーンを横断すると
深き森に囲まれた国リハが
静かな佇まいで待っていてくれるのです
その大きさ故に粛然として
青き空の下に控え
緑な風の中に現われるのです
・・・・
新緑の芽吹く季節に
訪れてから
蝉しぐれに 励まされ
キンモクセイの香りに
夢を膨らませて
虫の音が響く
十六夜の夜には
涙を流し
雪花の舞う
今日この日まで
白杖を目の代わりに
歩き続けてみたのです
・・・・
不安と恐怖は
踏みつけて
勇気と希望は
つぶれるほど強く
胸に抱き
太陽に向かって
歩いてきたのです
一歩
また一歩
もう一歩
そして 一歩と
確かな足取りで
季節を跨いで
歩いてみたのです
・・・・
罵詈雑言は
馬耳東風にやり過ごし
澆季混濁したこの時代
臥薪嘗胆することを
胸に秘め
唇から血が滲むほど
歯を食いしばり
光る涙は
笑顔で隠し
歩いてきたのです
・・・・
ある日の 昼過ぎ
重い落ち葉に
白杖を取られながら
考えたのです
もう何度
この道を往来したことだろう
・・・・
枯れ葉の厚みに
過ぎ行く季節を感じながら
遠くで聞こえる
工事音に
不安を覚えても
時折芳しい
かつお出汁の匂いに
いにしえを想い
胸かき乱されながらも
歩いているのです
ただ直向きに
歩いてみたのです
継続が
本当に力に変わるなら
昨日より今日の方が
未来に近づくのではないかと思うのです
経験がものをいうことを
信じながら
今日もそして 明日も
歩いてみようと思います

※ 澆季混濁(ぎょうきこんだく):夏目漱石の『草枕』に出てくる言葉で、澆季と混濁を合わせたもの。澆季は『道徳が衰え、乱れた世。世の終わり。末世。』という意味で混濁は、ここでは『世の中が乱れること。』という意味。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん):この詩では『リベンジする』という意味で使いました。

▽ もう一度『四つの終止符』の話に触れますが、この小説は、1965  年に『この声なき叫び』という題で、松竹から映画化されているようです。原作とは若干ストーリーは変わっているようですが、機会があればご覧になってください。
考えてみれば当然のことですが、自ら体験したこと以外は、理解しているつもりでも、それはただのつもりにすぎないのですね。私は、自分自身も立派に障害者の仲間だと自負していました。
しかし、同じ障害者でも、持っている障害の違いや、同じ障害だとしても、その程度の違いなどなどから、私以外の人たちの心の内を、真の意味から理解しているとは言えないのではないかと、つくづく感じます。
次の詩は、障害者手帳を貰った頃に作ったものです。此のころは、心の葛藤は日常茶飯事でした。
しかし、今では、この詩にあるような声は、全く聞こえてきません。
どうぞ読んでください。

〈心に住む二人のMasato〉

今年…
障害者手帳をもらい
4年になる
きっと何年たっても
自ら負った障害を
100%受け入れることはできないのかもしれない
・・・・
寝覚めると
ふと思ったりもする
「あれ?何も見えない」
そんな時は決まって
左のMasatoは言う
「あたりまえじゃないか目に障害を持ったのだから」
「それもこれも自分に責任があるのだぜ」
「あきらめることだな」
すると
右のMasatoは
「でもそのおかげで新しい知識を得られるじゃないか」
「沢山の友もできたでしょ」
「それに人生を二度経験しているじゃないか」
「何もなければ人生は一度きりなのだぜ」と
緩やかに語りかけてくる
現実を生きているMasatoは想う
「その通りだな」
「今できることを積み重ねて行こう」と
・・・・
そんなやりとりが
不定期的ではあるが
津波のようにやってきては
胸を締め付ける
ただ…見えなくなってからの方が
人の心は
良く見えるような気もしている
自分自身の言動が
大胆になったことも確かだ
今までと違う自分が
表面化した
・・・・
心のMasatoは
晴れた日には現れない
ここのところ
晴れ続きだ
今日も朝から
白い太陽に包まれた
小春日和である
空気は相変わらず
凍りを頬に押し付けながら
流れて行く
今年も不安と喜びが
波のように
寄せてはひき
ひいては寄せ
することだろう
・・・・
見えないから…
見えるから…
という事は全く関係ない
見えようが見えまいが
持っている個性に変わりはない
生まれながらの障害者が
ピアノを弾き
バイオリンを弾き
多くの人に
喜びを届けている
ひょうきんな遺伝子を
受け継いだ人は
テレビの中で
日本中の人たちに
笑顔を与えている
努力を重ね
創り上げた
技術を持った人は
歌やダンス
そしてスポーツを通じ
観客に
夢をプレゼントする
どんな人生になるのかは
100%自分次第なのだ
どんな人生にするのかは
自分自身の
考え方と行動力
冷静さと熱い心
やるかやらないのかで
楽しくもなり苦しくもなると
左右のMasatoは考える
もちろん
現実を生きるMasatoもである

▽ 見えなくなった当初は、こんな詩を書きながら、お尻に鞭打って、叱咤激励していたのでした。
このころは、まだ視覚障害者初心者だったこともあり、時々見えるようになった夢を見ていました。その度に、心は沈んでいたのでした。
しかしまるで「劇的before・after」というテレビ番組のように、古い自分は一新し、今では見えないことが普通になりました。それどころか、見えないことを楽しんだりもしています。
それもこれも、多くの方たちのお力添えがあればこその賜物です。
こんな風に考えられるようになったのは、皆様のおかげです。
ありがとうございました。
石田眞人でした