第十六号 ゆっくり行こうよ
私が小学生の頃の話ですが、私の住んでいた村では、一家に一台自家用車がある家は極稀で、多くは自家用車を持てない時代でした。私の家もご多分に漏れず、自転車と原付バイク、そして耕運機が一台ずつあったきりでした。そのころのことを今考えてみると、優雅な生き方をしていたと思います。一日に一つの仕事(または用事)をこなすことができれば良い時代でした。
ところが今は、年月を重ねる度にスピード時代は進み、一日に二つも三つもの仕事をこなすことが要求されるようになりました。それは、道路や鉄道の整備が進み、空路も整備され、近場の他国なら日帰りが可能だというスピード時代になったからです。
そんなスピードに、ついて行けない人たちも増えていると聞きます。私も、視覚に障害を持つ前に、環境の変化について行けずに、精神をおかしくしてしまった時期もありました。今考えると、見えなくなったこと以上に精神が壊れて行くことは、恐ろしくて辛くて苦しいことでした。
以前にも少し書きましたが、そんな時に、コリアン先生(遠藤周作先生)の本や、渡辺和子さん(元ノートルダム清心女子大学学長)の講演内容をまとめた本に助けられたのでした。
渡辺和子さんにおいては、晩年うつ病を経験していると聞きました。また、お父さんは、昭和11年2月26日の事件の時に、40発以上の銃弾を受け、亡くなった元陸軍大将の渡辺錠太郎さんだと後から知りました。
話を戻しますが、私が、目を失くしたことを乗り越えられたのは、精神に異常を来したことを超えた経験も役に立ったのではないかと思います。そんなことを踏まえて、初めの詩は、むやみに社会のスピードに合わせるのではなく、マイペースを知り、それを守ることも大切なのではないかと思い作った詩です。この「Take it easy(テイク イット イージー)」は、アメリカのイーグルスの代表曲の一つです。私の頭の中では、この詩を読むと、その曲が流れます。
どうぞ読んでください。

〈Take it easy〉

『手術は嫌だ』
僕は心の中で叫んだ
増殖糖尿網膜症
こんな 戒名のような響きを持った
背中がむずがゆくなりそうな
それでいて
intelligenceな
名前を貰ってしまった
僕には 一生
いや永遠に
無関係だと思っていたのに
まるで 原子爆弾で
頭を破壊されたような衝撃を受けた
右目は0.01
左眼は0.7
視力は残っていた
この時僕は いかにも都合良く考えた
『車の運転もできるし文字も見えるから手術はしない』
この視力が永久に続くと考えていたのだ
そんなことは99.999%ありえないのに
その後 僕の視力は 落下傘部隊の如く
急降下したのである
どん底まで落ちて初めて
現実と 向き合わざるをえなくなった
そうして 一人で暗闇を 彷徨き始めた
どこまで行っても堂々巡り
前進などあり得ない
陰陰滅滅たる 一人ぼっちの世界
その後は七転八倒し
長い時を費やしてしまった
・・・・
それからは
何度も何度も
『現実をしっかり見なさい』と
強く強く
自身に言い聞かせ
心の歯を食いしばり
グッと足を踏ん張って
責任は転嫁せず
脚下照顧した時から
心に優しさが戻ってきた
それからそれから
清風が胸を包み
朝日が心を照らし始めた
その時から
心象風景は一変し
聞こえてくるものが変わり
時間は流れだし
全身に気血が通い始めた
僕を包む世界は
明るくて広くて大きくなり
他人の心も
優しさを持ち始め
森羅万象が僕の味方と化した
夜の闇さえ心地よい
・・・・
Take it easyと
歌いながら
一度きりの人生をゆっくり進もう
酸いも辛いも味わいながら
今日までの時を走りすぎたのだから
Take it easyを
合言葉に
焦ることはないさ
早すぎる世の中の動きに
一石を投じて
Take it easyと
のんびり行こうよ
空に浮かぶ星雲の如く
大きな気持ちで
ありがとうの先には
幸せが待っていてくれる
に違いないのだから

※酸いも辛いも(すいもからいも):正しくは「酸いも甘いも」ですが、あえてここは「酸いも辛いも」とさせていただきます。
▽私は障害を持ってから、持つ前とは明らかに違った職業の人達との出会いが増えました。その出会いひとつひとつが、私にとってはなくてはならない出会いのような気がします。それはまさに、偶然ではなく必然的な出会いだと確信しています。
そうして、今の自分が作られてきたのではないかと思うのです。
そんなことを想うと、私が精神をおかしくした経験も、目を失くしたことさえも、私自身の人生には必要不可欠な出来事だったのではないか?とさえ思えてきます。
話は変わりますが、皆さんは、短歌を詠んだりした経験はありますか。
「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
これは、石川啄木の有名な短歌です。
私も、東京に就職してふるさとに帰り、久しぶりに見慣れた山と出会ったときには、切ないほど懐かしい気持ちになったことを覚えています。
私の故郷は、群馬県の子持村(現渋川氏)です。群馬三山と言えば、皆さんもご存じのように、赤城山、榛名山、妙義山ですが、子持村の北には、子持山が聳えています。
私の故郷の山と言えば、この子持山です。故郷の子持村(現渋川市)を離れてから、やたらと故郷が思い起こされます。そこで、次の詩は、子持山の気持ちを想いながら作ってみました。楽しんでください。

〈子持山の独り言〉

あなたは私 子持山が
何処にあるのか知っているかしら
えっ!知らないの?
それじゃ 私が教えて・あ・げ・る!
群馬県の中央部にあるのよ
中央部ってどの辺り?と言ったかしら
それじゃあ 仕方がないから
手取り足取り教えてあげるわね
私はね 渋川市と沼田市と高山村の
二市一村を股に掛て聳えているのよ
何かご不満でもあるのかしら
今あなたは
「世界を股に掛けている」って言ったわね
何でもかんでも股に掛ければいいというものじゃないわよ
股に掛けすぎると下品になるわ
それにね
股が使い物にならなくなったらどうするつもりなの
今何か言った?
もう少しはっきり言ってくださらないかしら
えっ!「なぜ女言葉なのか」って?
それはね 私は女性なの
それも とても美しい女性なのよ
吉永小百合さんのようにね
ちょっと言い過ぎたかしら
兎にも角にも
名前を見ればわかるでしょ
私の西隣には
小野小山と言ってね
男性の山もあるのよ
あなたほどいい男ではないけれどさ
・・・・
それではここで
自己紹介をするわね
まず身長(標高)はね 1269m
山としてはそこそこの高さよね
スリーサイズはひ・み・つ
私の年齢を聞きたいの?
あなた何言っているのよ
女性の年齢を聞くなんて失礼な人ね
あなた!女の子にもてないでしょう
話を戻すわね
みんなは私のことを
成層火山なんて言っているわ
あなたは成層火山って知っているかしら?
実は私もよくわからなかったので
PCで調べてみたのよ
「PCを使えるのか」って言ったわね
PCくらいは使えるわよ
それによるとね
『火山地形の一種で
噴火による堆積物が火口の周囲に積もっていくことで
形成された円錐状の火山』だそうよ
少しは理解できたかしら
つまり 富士山と同じってことね
私はスタイルも抜群でね
群馬の名山の一つなんて言われているのよ
それにね
私としては恥ずかしいのだけれどね
地質学の観測に適しているのだそうよ
観測なんて言ったって
裸にされるのはごめんだわね
私の南側には、子持村があるのよ
今は 渋川市になっちゃったけどさ
その子持村にはね
ついこの間まで
長尾景虎の出城があったのよ
そのためかこの前までは
長尾村なんて呼んでいる頃もあったわね
「何年の出来事か」って言った?
長尾村と呼ばれている頃は
まだ最近の話でね
約六十年前の話よ
長尾景虎の出城があったのはね
戦国時代だったから
何百年前かしらね
あら 年がわかっちゃうわね
今の話は聞かなかったことにしてくださらないかしら
またまた 話を変えるわよ
私の南側中腹にはね
子持神社と言ってね
村の鎮守様があるのよ
その鎮守様に続く山道にはね
長い長い桜坂があるのよ
その中腹で振り返ると
関東平野が広がっているわ
それはそれは 息をのむほどの絶景よ
五月の一日にはね
鎮守様のお祭りがあってね
ちょうどそのころに
桜が満開になり
並木坂は桜の花であふれかえるのよ
それはまるで
私の細い首を飾る
桜のネックレスのようで
得も言われぬ美しさよ
あなた何言っているの
「どこが細い首か」って?
よくそんなこと言えるわね
そんなこと言うのなら
一度来てみなさいよ
最後に一つ教えてあげるわね
その桜坂の登り口にはね
雙林寺(そうりんじ)と言ってね
平安時代に建立された
七不思議で有名なお寺もあるわ
山門をくぐると
次の瞬間には
異次元に迷い込んだ感覚に
なるかも知れないわよ?!

▽どこにでも七不思議伝説はありますよね。
そこで、私の七不思議を紹介します。
◇一つ目:小、中、高校時代には、なぜか先生方に好かれたこと。
◇二つ目:中学、高校と数学の試験で90点以下は取ったことがないこと。
◇三つ目:中学、高校と英語の試験では30点以上を取ったことがないこと。
◇四つ目:目が見えなくなってから猫を飼っているお宅を訪問すると、やたらと猫が足にすり寄ってきて、中にはお腹を向けて寝転んでしまう猫もいること。
◇五つ目:二度の大事故に遭遇したが、無傷で済んだこと。
《一度目は、六歳の頃でした。私が国道17号線と国道353号線の交わる交差点で信号待ちをしていた時のことです。青信号になったので渡ろうと一歩足を踏み出した時、前方から大きなオートバイが左折してきたので、思わず足を止めました。そのオートバイは交差点を曲がり切れずに、信号待ちをしていた大型トラックの右前輪に衝突し、オートバイの運転手のヘルメットが飛び、頭から血を流して即死した事故です。
二度目は、東京で働いている頃、国道246号線沿いにあるビルに入ろうとしていた時のことです。突然私の真後ろで「グシャ!」と、大きな肉片が地面にたたきつけられるような嫌な音がしました。それで思わず振り返ると、手足を不可思議な方向へ向けて、うつぶせで血を流し倒れている男性がいました。私は、何が起こったのか理解できずに、茫然と佇んでいると、高校生ほどの男の子が走り寄ってきて「僕見ました…この人が屋上で、うろうろ歩いているので何をしているのかなと思っていると、突然飛び降りました」と言うのです。それで、飛び降り自殺に遭遇したことに気づきました。その男の子が言うには「お兄さんの頭に落ちるかと思いはらはらしました」とです。この時も、一瞬の差で助かったのでした。》
◇六つ目:やくざに絡まれても、必ず誰かに助けられたこと。
《何度かありますが、二つだけ紹介します。一つ目は、新宿のスクランブル交差点でのことです。私たちが渡ろうとする目の前に、黒塗りの大きな高級車が止まっていました。私は、何気なく、その車のトランクを邪魔だなとばかりに掌でたたいた時のことです。突然車から、四人のその筋の方たちが下りてきて、私をにらみつけて言いました。「何をするのだ!」その時、間髪を入れずに、友達が一言「すみません!こいつ酔っぱらっているので許してください」と謝ってくれたのです。そして次の瞬間「いいから乗れ!」と、親分からの一言で、その筋の方たちは、車に乗り走り去って行きました。
二つ目は、錦糸町駅前の電話ボックスで、事務所へ電話連絡をしている時のことです。私は、目の前にある、数十枚の名刺大のHな宣伝広告を、無意識のうちに、一枚また一枚とはぎ取って床に捨てていました。すっかりはぎ取ってしまうと、隣の電話ボックスにいるこわもての大きな男性が、私を睨みつけながらどこかへ電話している光景が目に入ってきました。「なんだこいつ」と思いながら電話ボックスを出ると、突然十数人のやくざらしき人たちに囲まれてしまいました。そして、「事務所へ連れて行くぞ」と言う声がし大きな白いベンツの後部席に押し込まれそうになった時、どこからか、おまわりさん二人が駆け寄ってきて「お前たちなにしてるのだ!」と、私を助けてくれたのでした。》
◇七つ目:小学六年の頃は、ビン牛乳の早飲みで誰にも負けなかったこと。
《あまりに私が速いので、ある日友達が、父親のストップウオッチ付き腕時計を持ってきて、その時間を計ってみました。すると、なんと2秒で飲み干したのです。》
以上が、私の七不思議でした。皆さんも、同じような出来事に、遭遇したことがあるのではないですか。自身の七不思議を考えてみても面白そうですね。
ありがとうございました。
石田眞人でした。