第五号 倦まず撓まず
私は、視覚に障害を持って早十年が過ぎました。
何年何月何日から障害を持ってしまったのかは定かではありませんが、四十七歳の頃から視力が急速に衰え始め、一年が過ぎたころ漸く眼科に行ったのですが、その頃にはもう治らないと宣告されました。その後、思い悩みながらも、障害者手帳をもらったのが、五十歳になるほんの数日前でした。
視覚障害と言っても、原因は様々です。私の場合は、糖尿病からくる網膜症でした。糖尿病性網膜症は比較的多いほうで、それと同じくらい多い病気は、網膜色素変性症(モウマクシキソヘンセイショウ)、私たちの間では色変(シキヘン)と短縮して言っている病気です。極々稀な例には、プロボクサーが目の周辺を連続して叩かれ、それが原因で網膜剥離を起こし、障害を持った人がいました。また、子供のころからアトピーがひどくて、無意識のうちに目をこすったり叩いたりしたことが原因で起きた網膜剥離の男性もいました。網膜剥離については、郵便配達を生業にしていた男性本人から聞いた話があります。それは、毎日原付バイクでガタガタ道を走っているうちに網膜剥離を起こしてしまい、何度も手術を行った結果、全盲同然になってしまったという話でした。
それから、単車や車の事故で眉間の付近を強くぶつけて一瞬のうちに見えなくなった男性や、高熱を出し翌朝目が覚めると全盲になってしまった男性もいました。
私が思うのは、日常生活の中に障害になってしまう原因が、皆さんの思う以上に多く潜んでいるということです。あなた自身にも、障害者の仲間入りをするチャンスがあるということを考えてほしいと思います。
話は全く変わりますが、皆さんの中に、台風や雷の好きな人はいませんか?
これは本からの受け売りですが、たまには台風の力を借りて海をかき混ぜなければ、海の生物は酸素不足で死んでしまう恐れもあるようですね。誰もが震え上がる雷でさえ、街を奇麗に洗い流してくれるし、涼しくしてくれますよね。
昨今、気候変動や新型ウイルスなどなど、環境汚染のことが問題になっていますが、恥ずかしながら私はごみの分別くらいしかしていません。環境汚染は何もごみ問題だけではありませんが、世界の人口が増え続ける一方で、ごみも増えているわけですよね。
テレビのニュースで、こんな話を耳にしたことはありませんか?
『海に流れ着いたプラスチックはやがて細かく砕けて、その砕けたプラごみをプランクトンと間違えた魚が食べてしまい、食べた魚はやがて死に、死んでしまった魚が海岸線に流れ着いた』そして『死んだ魚を調べてみると、お腹の中には沢山のプラごみが詰まっていた』というものです。
この死んでしまった魚は、人間の犠牲になったも同然ですね。見方を変えると「海のごみを命がけで掃除してくれた」とも言えるのではないでしょうか。社会問題に疎い私は、そのごみを処理してくれている人たちのことをほとんど考えたことはありませんでした。
最初の作品は、障害とは関係ありませんが、私の患者さんから聞いた本当の話を全く脚色を加えずに、ごみ問題を違った角度から書いてみたものです。少し深刻な話題ですが、ひとつの問題提起になればと思います。

〈産業廃棄物処理会社社長の息子〉

「ごみを制する者は世界を制す」
と、ある人は言った
それを知る人はきっと
社会の仕組に長けた人だろう
しかしそんな人は希である
僕は昔から心無い同級生に
ごみ屋の息子
ごみ屋の息子と
言われ蔑まれてきた
悔しいが唾を飲んで
ぐっと歯を食いしばり
我慢する
それで今では
すっかり歯はボロボロだ
しかしごみ屋と言われる父は
誇りを持って
立派に仕事をしている
・・・・
昔から心無い同級生は
私の身体に鼻を近づけて
まるで犬みたいに
くんくんと団子鼻を 蠢かせ
顔を顰めて言い放つ
「くせぇな ごみの臭いがする」と
それでも僕は我慢する
ぎゅっと強く強く目をつむり
口を堅く結び
胸を張る
そうしても涙が溢れだすこともある
そんな時は心で相手を殴り蹴飛ばしてやる
父は言う
「うちはごみで食わせてもらっているのだから
人は大切にしろ」と
そして「人に何かしてあげたいと思ったら
労苦もお金も惜しむな」と
だから今では
それを守っている
そうして僕も父のように
倦まず撓まず生きて行くのだと決めた

※倦まず撓まず(ウマズタユマズ):飽きたり怠けたりしないでという意味

▽まだまだごみ問題も、いじめも無くならないという事実はありますが、2020年を迎え、障害者にとって、本当に良い世の中になったと、私は思います。人それぞれ感じることは違うと思いますが、私は障害を持つにいたり、国や地方自治体や沢山の人たちの好意によって、守られ助けられて生きていることを感じます。
一昔前は、障害者に対する偏見が、少なからずあったように私は思っています。現在もわずかに偏見はあると思いますが、塩原センターでお世話になったケースワーカーの先生のように、障害者に対しても上から目線でも単なる同情からでもなく、真っすぐに向き合ってくれる人たちが増えたのも確かです。
次の作品は、私が子供のころ感じたことを書きました。
それは、私の実家の近くにいた、脳性麻痺の人のことを、偏見の目で見ていたことへの反省です。この詩は、ラジオから流れてきた投稿文を私なりにしにしてみたものです。

〈悲しくて悔しくて〉

窓から吹き込む風に
ふあり ふあふあ 心が浮いて
時の流れに逆らって
涙がこぼれ出しました
それはラジオから聞えてきた
ある女の子の思い出です
それは本当にあったお話です
ちょっとだけ昔のお話です
・・・・
北国のある街に
小学一年生の女の子が住んでいました
その女の子は
おばあちゃんのことが大好きでした
女の子のおばあちゃんは
車いすで生活している障害者でした
その女の子は
学校が終わると
ランドセルを放り出し
近くに住むおばあちゃんの家に
走って行くのが日課でした
晴れの日には
車いすを押して
公園を散歩したり
お買い物に出かけたり
ケーキ屋さんに行き
いちごのショートケーキを食べたりしていました
雨の日には
おばあちゃんが
本を読んでくれました
女の子はおばあちゃんの笑顔が大好きでした
そんな笑顔な時も優しく過ぎて
桜の花が風に舞い
ミンミン蝉も鳴き始め
秋は走り去り
冷たい風に頬染めて
六年が過ぎた
ある夏の日に
おばあちゃんと二人で
お祭りに出かけました
それは待ちに待った
一年に一度きりのお祭りでした
小学六年生になった女の子は
いつものように
おばあちゃんの車いすを押して歩いていました
すると向こうから
三人の青年が歩いてきました
その青年たちは
女の子の目には
優しくて素敵なお兄さんに見えました
そのお兄さんたちは
お話に夢中です
おばあちゃんの車いすには気付きません
そして女の子が押す車いすとすれ違いざまに
ひとりのお兄さんの手が車いすに
ごっつんとぶつかりました
その時です
女の子が
耳をふさぎたくなるような
罵詈雑言が投げかけられました
「ちぇ!障害者かよ きたねえな」
女の子はその場に立ちすくみ
夜空に光る星のような涙が
ポタポタとこぼれ落ちました
その日の出来事から
小学六年生になった女の子は
おばあちゃんの家に行くことは
なくなりました
・・・・
おばあちゃんは言いました
「どうしてあの子は 遊びに来なくなったのかしらね」
その日からおばあちゃんは
悲しくて
寂しくて
やるせなくて
いっきに年を取りました
そして時は流れ
女の子が中学生になったころ
おばあちゃんは女の子を待ちわびて
女の子のお母さんにみとられて
天国に旅立ったのです
女の子は泣きました
女の子は後悔しました
私がお祖母ちゃんを死に追いやってしまったのね」
「もっと優しくしてあげればよかった」
「おばあちゃんごめんなさい」
「本当にごめんなさい」と
・・・・
窓から吹き込む風に
ふあり ふあふあ 心が浮いて
時の流れに逆らって
涙がこぼれ出しました
それはラジオから聞えてきた
ある女の子の思いでです
それは本当にあった
ちょっとだけ昔のお話でした

▽私は、この投稿文をラジオで聞いて目頭が熱くなりました。
まだ私が若い頃でしたが、こんな偏見がまかり通っていたのですね。そう言う私も、口にこそ出しませんでしたが、障害者の方たちを、上から目線で見ていたことも事実です。この場をお借りして謝罪します。
そんなことを思うと、今はとても良い世の中になりました。それだけでも私は幸せだと思います。
昨日と今日ををよくよく見ても、何も変わっていないように思えますが、時系列に逆らって見なおしてみれば、良し悪しは別にして、科学や医学の進歩だけではなく、何もかもが変わっていますよね。
突然ですが、この女の子は、福祉関係の道に進んでいたりして?!…などと思う私です。
私自身、障害を持ってよかったと思うことは、人の優しさがとっても嬉しく感じられること、そして自分の心にも優しさが増えたことです。
私は想います。「倦まず撓まず」生きている人は、なんて素敵な人だろうと…
ありがとうございました。
石田