第七十四号 幸福につながる道
今更ですが、皆さんもお気づきのように、私の知識は、そのほとんどが本からの受け売りです。いつもいつも、本からの受け売りばかりで恐縮ですが、今回も、ふたつほど紹介させて頂きます。
始めは、誰が書いた小説なのかは覚えていませんが『人生には近道はなく、不幸に繋がる門は大きく広いが、幸福に繋がる門は小さく狭い』と書いてありました。
これは、現実の世界の中でもいえるのではないでしょうか。
もうひとつは、佐伯泰英さんの時代小説の中で、剣術道場の師範が、天狗になっていた弟子が、試合で、ある侍に完敗して落ち込んでいる時に言った言葉です。
それは「過分な自信も、過ぎたる臆病もいかん。自然のまま、成り行きに任せるがよい」…いかがですか?私の好きな言葉『行雲流水』に繋がるように思います。これも、一つの幸せにつながる道のように思いました。もちろん、自然の成り行きに任せる
前には、今自分にできることを、一所懸命にやることが大前提ですが…
誰しも、人生を真剣に生きていると、迷い悩むときもあることでしょう。私は、そんな時には、人から聞いた話や、本で読んだ内容を参考にして、進む方向を決めています。
初めの詩は、お釈迦様が弟子に言った言葉から始まる詩です。まさに、本の受け売りから生まれたものです。これは自分自身に言い聞かせたくて作ったものでした。
では、読んでください。

〈今日は今日 明日は明日〉

過去の栄光に
捕らわれることなく
今日の過ちに
目を逸らすこともなく
今日は今日
明日は明日
今この瞬間を
真っ直ぐ生きて行く
釈迦の教えに
頭(こうべ)を垂れた時
心に燦燦と
光がさしてくる
・・・・
懲りずに今日も
声を荒げて怒鳴り散らす
私のちっぽけなプライドや
相対的な正義感など
宇宙の遠くへ捨て去って
私自身が
何度も何度も
許されてきたように
許して愛することを
身体(からだ)に刻もうと
親鸞や聖書の言葉を
心で唱える
・・・・
見ざる聞かざる云わざると
日光東照宮の教えを
常に心に刻み込み
血気や怒気に襲われそうになった時
「まっいいか」と心で叫び
気を逸らす
あいつの勝手な言いようも
やつの我儘な言動も
馬耳東風と聞き流し
目をつぶる
穏やかな心に終始して
平穏な一日を過ごす

▽ 皆さんは、どんな言葉や教えを試金石にして、自分自身の言動を振り返り、自分自身を磨いていますか?
次の詩は、とっぷりと秋に浸って作ってみました。
今年の夏は例年にない暑さだったために、秋の風を感じた時には、もうすぐ涼しくなると思い、ほっとしました。
暑い夏が好きな私ですが、今年の夏からは、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということを教えてもらいました。どうぞ読んでください。

〈秋を歩いて〉

八入の雨に
染められた
里の小道を
逍遥すれば
いつしか森に
佇んで
深くゆっくり
手を合わせていると
広い大地に
熔けて行き
自然の神秘に
凛となる
・・・・
たわわに実り
頭を垂れる
稲穂は
すっかり色づいて
収穫の日を
待つばかり
畦の小道で
感謝を祈り
大きな幸福
両手に抱え
実りの神秘に
凛となる
・・・・
冷たく清んだ
夕月夜
あすさえ知れぬ
虫の音響き
下弦の月を
見上げれば
いにしえ遠くに
心は駆けても
重ねた春秋
背負いて歩めず
歴史の神秘に
凛となる
・・・・
数億光年の
時空を超えて
瞬き始めて
幾星霜
消えゆく星と
生まれる星に
命の起源を
知らされて
深く大きな
力を感じ
宇宙の神秘に
凛となる

▽ 私は、『逍遥(しょうよう)する』という言葉を、好んで詩の中で使います。
目的もなく自由気ままに歩くという意味ですが、散歩や散策よりも、そこはかとなく時間がゆっくり流れるように感じられるので好きなのです。
このことは、あくまで私の感覚なので、どうぞお聞き流しくださいませ。
今回も、ありがとうございました。
石田眞人でした