第七十二号 今だからこそ
第五十六号の中で、義理の父との関係で苦しんだ経験を書きましたが、いま冷静に考えて、実は私の側に多くの責任があったことに気づきます。
今だからこそ思うのですが、『あの時には、ああすればよかった、こうすればよかった』と考えることができます。まさに後悔先に立たずですね。
ある本の中に『私の人生は、後悔の集積場だよ』と書いてあったことを思いだします。
初めの詩は、大好きな人を思い浮かべて書いてみた詩です。好きと言っても様々だと思いますが、尊敬の思いを寄せて書いたものです。
この詩は、誰を思い浮かべているのだろうと考える方もいると思いますが、それは神様にも秘密です。どうぞ読んでください。

〈あなたへ〉

どんな時にでも
粛々と見守ってくれ
どこにいても
心配りを忘れない
あなたへ
雨の日には
速やかに
傘をさしかけてくれ
晴れの日には
涼やかな笑顔を
向けてくれる
そんなあなたは
老若男女
森羅万象
分け隔てなく
愛をもたらしてくれる
これからは
私があなたを
愛する番です
いつでもどこでも
何をしていても
何もしていなくても
歳を取り
皺が増え
白髪が増えても
病に伏しても
やがて人生の
終焉を迎えても
あっちの世界へ行っても
いつまでもいつまでも
永遠に限りなく
一緒にいたいのです
ともに歩き続けたいのです
休む時も一緒です
歩く時も一緒が良いのです
笑う時も泣く時も
同じものを見て感動し
感動しては見詰め合う
どんな時でも一緒です
食べるものも一緒です
大好きなあなたへ
大きな花束を添えて
この愛の詩(うた)を届けたい

▽ 皆さんは、心の奥底から愛した人、あるいは尊敬する人との出会いを経験したことはありますか?
時々聞こえてくる話ですが、金にあかせて、女性をとっかえひっかえ取り替え連れ歩く人の話を聞きます。
そんな話を聞くたびに、『その人は、心から愛した人はいないのだろうか?』と思うのです。
個人差はあると思いますが、私の場合、同時に二人以上の人を心から思うことはできません。
次の詩は、終戦の日を思い起こしながら作った詩です。
当時の話を聞くと、8月15日よりも、数か月も前に戦争を終結させる予定だったと聞きます。もしも数か月前に集結できていたなら、熊谷周辺の空爆はなかったとある本に書いてありました。
また、広島や長崎の原爆投下も無かったのではないでしょうか。これもまた、後悔先に立たずですね。
では、読んでください。

 

〈私へ〉

軍隊は
なんのためにあるのか
武器は
本当に必要なのか
原子力爆弾があれば
戦争は起こらないのか
8月15日を
前にして考えてみた
しかし僕には
よく解らない
国力軍事力が
強ければ強いほど
原子力爆弾を
持っていれば
軍事バランスが
とれていれば
表立っては
戦争が
起こらないかもしれないが
しかし…
絶対に争いが起こらない
世界を作るには
軍隊や
武器や
原爆を
持っているか
持っていないか
それよりも前に
人間ひとりひとりの
それから私の
心が変わらなければと想う
そうなる為には
何が必要か考えたい
自分さえ
よければいいのか
自分の生活さえ
守れればいいのか
自分の欲望さえ
満たされればいいのか
真の平和を
願うなら
政治家や
核保有国や
隣人を批判する前に
まず私自身で
私の心を
顧みてみようと
思うのである

▽ この詩を読んで、不快に思われた方もいると思いますが、この詩の内容は、あくまでも私の勝手な憶測ですので、広い心でお許しください。
ある本に、『人格者とは、自分のことを早く済ませて、他人の世話ができる人である』と書いてありました。
しかし、世界で二度も、世界戦争を経験しながら、ロシアのプーチンのような人もいまだにいるのは不思議です。
このような事実を目にするたびに、国の指導者はいかに大事かを感じます。兎にも角にも、平和な世界を心から祈るばかりです。
今回も、拙い私の思いを読んでくださり、ありがとうございました。
これからも、これに懲りずに、よろしくお願いします。
石田眞人でした