第六十二号 雲雀に誘われて
十二年前の三月十一日、東日本大震災がありました。当時私は、岩手県に住んでいました。その時には、電気・ガス・水道だけではなく、一か月近くコンビニもスーパーも、ガソリンスタンドさえもストップしてしまいました。その辛い思いをした経験は、今でもはっきりと覚えています。
そうして今年二月には、耳目を覆いたくなるような震災がトルコ南部からシリアの一部の地域であり、毎日ニュースで報道され一日ごとに亡くなられた方が増え続けていました。
その報道によると、三月一日現在で五万以上の人が亡くなられたとのことでした。まずは、心よりお悔やみ申し上げます。
本題に入りますが、皆さんは雲雀の鳴き声を聞いたことはありますか。雲雀と言うと、美空ひばりさんを想いだし懐かしむ人もいらっしゃることでしょう…。
私の子供の頃は、春の麦畑の上空を、ホバリングしながら鳴く雲雀が遠近にいたものでした。
そんな雲雀の声は、春の穏やかな温かさと相まって、子供心にも幸せを届けてくれたものです。
そんな春の風景は今では無くなってしまったのでしょうか。
始めの詩は、穏やかな日曜の昼下がりに、夜中に降った花散らしの冷たい雨に、散ってしまった桜を惜しみながら作ってみたものです。
この詩は、友の言葉から想像した私の心象風景でした。
どうぞ読んでみてください。

〈春のグラウンド〉

桜の絨毯を歩いている
ピンクに彩られた
大地を踏みしめて
金輪際終わらないと
思えた冬も
少しづつ少しづつ
早春の風は温み
分刻みで花開き
春の風と
花散らしの雨に
丸裸にされた桜の木
・・・・
ゆらゆら揺らめく花びらと
流れ去る春秋に
心を弾ませて
長い人生の中で
今春初めて出会う春風に
身体も心も温められ
昂然として咲き誇り
潔く散って行った
花のみごとさに
笑顔も燦然として光り
長かった冬にも終焉が訪れた
・・・・
春を舞う花吹雪
風の演出に
彩られたグラウンド
青空の向こうには
燦燦と輝く愛を見て
ゆらりゆらゆら舞い上がる
春の薫りも心地よく
風のリズムに羽根広げ
歌を奏でる小鳥たち
蒼穹に染まる雲さえも
頬をピンクに赤らめる

▽ 今年の桜の開花は早かったですね。
ところで、春の心地よさを感じていただけたでしょうか。私の小さな喜びを、皆さんにもおすそ分けできたなら幸いです。
しかし、花粉症に悩む方たちにとっては、手放しで春を喜べないこともお察しいたします。
次の詩は、私の大好きな言葉「行雲流水:こううんりゅうすい」をキーワードにして作ってみました。
私は、迷ったとき、悩んだ時に思いだす言葉です。この言葉を唱えると、不思議に屈託は消えます。
「私はやるだけのことはやったのだから、あとは成り行きに任せる」と、言った具合にです。
では読んでみてください。

〈行雲流水が如く〉

春に目覚めた雲雀が飛ぶ
高くて青くて広い空
それは清も濁も飲み込んでしまう
何処までも続くスカイブルー
その中に身も心も委ねれば
心にたまった蟠りなど
すべて解けてしまいそう
・・・・
ハープの調べにさえも劣らない
軽やかな瀬音を残して流れ行く
坂東太郎の傍らに
両手足を広げて仰臥して
そっと瞼を重ねれば
地層のように積もった罪さえも
すべて流れてしまいそう
・・・・
全身にまとわり付く執着心に
じわりじわりと行く道を塞がれて
気が付けばいつの間にか裸の王様になる
そんな時には空に浮かぶ雲に乗り
流れる風にぷかぷかぷかと
身も心も遊ばせてみれば
私の瞳は光りを取り戻す

▽ 皆さんは、悩んだり迷ったりしたときにはどうしていますか。
私は、迷いや悩みの原因を見つけ出し、そこに潜む執着心やこだわりを取り除く努力をし、次のように心に言い聞かせます。
「私は、できるだけのことをするから、後のことは神様・仏様に任せます」と結果を放り投げてしまいます。
私は、いい加減になることも大切に思えます。
またまた持論を展開してしまい、申し訳ありませんでした。
今回も、お付き合いくださりありがとうございました。
石田眞人でした