第三十三号 新年を迎えて
皆さんは、どんな新年を迎えましたか?
私の住む行田市では、今年の元日は快晴でした。そんな晴天の中、私は今年も、読書三昧の三が日を過ごしました。近くに住む知人は、元朝まだ暗いうちから荒川土手に上がり、薄氷のような凛とした空気に包まれ、粛然と昇る初日の出に厳かな気持ちで手を合わせた、と言っていました。
ところで、令和四年を迎え、気持ちを新たにする意味で、自分自身の存在意義をちょっぴり考えてみることも一興ではないでしょうか?!
皆さんは、どんな目的を持って日々過ごしていますか。どんな夢を抱いていますか。その目的や夢は叶いそうですか?
私は、漠然としていますが、目的をもって、その時その時を過ごしています。一朝一夕には果たされない夢ですが、自身の人間性をどれくらい高めることができるか、と思いながら、人生の終焉を想っています。こんなことを書くと、「なにきれいごとを言っているのか!」と言いたい方もいらっしゃることでしょう。
しかし、私にとってはそう考えるだけの理由があるのです。
私は見かけによらず、気短で激し易い性格をしています。そのために、何度となく自己嫌悪に陥っているのです。この自己嫌悪程辛いものはありません。心が千々に乱れ、夜眠れなかったこともありました。そんなことで、自分の性格がほとほと嫌になっているのです。これで、少しは理解していただけたでしょうか?
今回の二編の詩は、自己嫌悪に胸が砕かれそうな時に作ったものです。
初めの詩は、太陽と月に話しかけてみた作品です。新年始めですが御笑覧ください。

〈お日さまとお月さま〉

なぜ?
お日さまが上ると朝になるのだろう
どうして?
お月さまが光り出すと夜になるのだろう
お日さまは
お月さまは
いつでもどんな時にでも
静かに
密やかに
寄りそっていてくれる
それだけでいい
・・・・
お日さまは
どんなに輝くライトよりも
森に
野原に
街々に
燦燦とした
明るさを届けてくれる
・・・・
お月さまは
どんなにときめく言葉よりも
山に
海に
人々に
ファンタスティックな
ロマンチックを届けてくれる
・・・・
お日さまは
誰の胸に抱かれるよりも
彼に
彼女に
この僕に
暖かさと生きる勇気を
届けてくれる
・・・・
お月さまは
誰の子守歌を聞くよりも
君に
あなたに
この僕に
平安と安らぎを
届けてくれる
・・・・
お日さまは
お月様は
何も言わないけれど
自己主張もしないけれど
そこにあるだけで
それだけで十分だ
・・・・
僕は
目に障害があるけれど
誰かのために
何もしてあげられないけれど
すぐにカッカしてしまうけれど
この時代を生きている
それだけで十分だ
と・・・
お日さまも
お月さまも
静かに微笑みを
向けてくれる

▽ 皆さんは、自身の性格は好きですか。どんなところが好きで、どんなところが嫌いですか。
明治維新の時代を生きた内村鑑三は、現在星野リゾートの社長として日本の観光立国戦略に大きな力を発揮している、星野佳路氏の先々代の星野嘉助に向けて「成功の秘訣」10箇条を送っています。その「成功の秘訣」の最後には「人生の目的は金銭を得るに非ず、品性を完成するにあり」とあります。
次に紹介する詩は、普段は目も向けないものを、題材にして作りました。
ある本に「私たちがこうして暮らして行けるのは、私たちの目に見えないところで、インフラを整備している人たちや、便利な機器を作っている人たちがいるからです。そのことをありがたいと思う気持ちを持ちたいものです。」と、書いてありました。
去年の暮れのテレビ番組の中で、所ジョージさんは「なんにでも感謝の気持ちを持つことで、幸せな気分になれますね」と言っていました。
そんな気持ちを少しだけ表してみました。どうぞ読んでください。

〈自明のこと〉

誰もが知っている
食物連鎖
植物は草食動物を生かし
草食動物は肉食獣を生かし
動植物たちは
死んでもまた
大地を生かす
目に見えぬ微生物ですら
命あったものすべてを
土に変えて
大地に力を与え
山も川も海も
そこに育つ
すべての動植物を
育んでいる
人に嫌われる虫たちは
あるものは土を耕し
あるものは受粉を助け
時には食され死んでゆく
しかし この僕は
日本に生まれたけれど
誰の役に立っているのだろう
・・・・
人が造った道具たちは
普段は全く無視されて
ある物は嫌われているにもかかわらず
存在目的をひたすら果たす
家族の汚れ物を
洗ってくれる
あの頑張りものの洗濯機は
誰に洗ってもらうのだろう
24時間
365日
働き続ける
あの冷蔵庫は
いつ休んでいるのだろう
トイレの黄ばみを磨いてくれる
あの柄のついた束子は
必要なときにだけ
持ち出され
ようが済めば
汚い汚いと言われ
目につかないところに置かれている
それなのにそれなのに
いったいこの僕は
どこからきて
どこに帰ろうとしているのか
わからない
もしも今夜僕の存在意義を
見出すことができたなら
朝(あした)に死すとも可なり
いやいや まだまだ生きて
僕は役目を果たすのだ

▽ 私は目を失くした時に、100%人生の目的を見失いました。
しかし、生きて行く勇気と、目標を与えてくれたのは、友達や家族でした。
忘れてはいけないのは、塩原センターや国リハ、そして背後からバックアップしてくれた行政の存在でした。私は多くの方たちのおかげで、今では訪問マッサージの仕事に携わることができました。この仕事は、一生の仕事になることでしょう。今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
最後に、皆様にとって、今年が最良の年でありますように!そして、今年もよろしくお願いいたします。
石田眞人でした