第二十八号 頑張る人達へⅱ
すでに遠い昔の出来事になりかけていますが、今年の夏には、オリンピックとパラリンピックがありました。一所懸命に頑張る選手やその人たちを応援するファンの人たちを見て、心が熱くなったことは良い思い出です。
もちろん、それらの開催については、賛否両論あったことも知っています。私自身、開催することには消極的な気持ちでした。
目標をしっかりと持って一心不乱に打ち込んでいる選手たちから自分自身に目を転ずると、自身の今日までの歩みは、画竜点睛を欠いた人生だったと想い当たります。
ある日思いました「今までに、何かやり切ったことはあったかな?」とです。しばらく考えてから思ったのは「こんないい加減な自分だったが、せめて天(親そして先祖)からいただいた生を、最後まで全うしてみよう」と…です。皆さんは、自身の人生を振り返ってみて、どんな風に考え、何を想いますか。私は、何一つやり切ったことのない自分だからこそ頑張る人の姿は美しく見えるのだと、思うに至りました。
初めの詩は、私が視覚障害という思いもよらない大きな転機を迎えた時に、前向きな気持ちになることをお手伝いしてくれた人をモデルに書いた詩です。
どうぞ読んでください。
※ 画竜点睛を欠く(がりょうてんせいをかく):ほぼ完全に出来上がっているのに、肝心の部分が抜けているために不完全な状態になっているさま。仏作って魂入れず、あるいは仏作って目を入れずと同意語。

〈頑張る君へpartⅡ〉

朝食を済ませ
洗濯物を抱え
verandaへ出ると
風に乗りやってきた
キンモクセイの力強い香りに包まれて
僕の心は優しさに満たされた
その刹那
身を粉にして働いている君を思った
そんな君の力になれないのが
涙がこぼれそうなほどに
辛くて
洗濯物をかける手が
玉響止まってしまった
・・・・
君はサラサラな髪を
そよ風になびかせ
西奔東走して目を廻している様子が
目に浮かぶ…
種々様々なことに
想いが及ぶ
君の気持ちは理解できるし
何事にも
真正面から体当たりして
前に進もうとする
君なのも知っている
僕はそんな君を
応援していると同時に
心配もしている
ただ自暴自棄に陥り
投げやりになる
君ではないことも知っている
・・・・
遠く北の空の下に住む君へ
リハの森から
僕は何ができるのか
自問自答してみた
しかし 君の町は
溢れる程の緑に
恵まれていることが
僅かな救いである
・・・・
心が乱れた時には
かつて 僕がしたように
川の流れに
耳を純ませてみてはどうだろう
凛とした風に
抱かれてみるのもいいかもしれないね
星月夜に瞬く
一億光年前に散りばめられた
宝石のような輝きに
心を遊ばせてみても
楽しいと思う
それでも君に比べれば
夜空に輝く宝石すら
見劣りしてしまう
僕は時々思うのである
君と二人で見る星は
世界に一つしかない
エメラルドよりも美しいのではないかと
・・・・
こんなに前向きな僕になれたのは
君の力があればこそである
これからも
君が 流した汗のこと
君が 笑顔になったこと
君が 腹を立てたこと
君の…
目を濡らした涙のこと
そんな君の
すべてを思い描いていたいのです
だから こうして
君のことを心配できる
この玉響なひと時こそが
幸せなのである
そうして今日も
僕の想い出に
新たなページが増えて
happyな瞬間は
過ぎて行くのである

▽ 何度も同じ話を書きますが、私が視覚を失い心が地獄の底に落ち込んだ時に、その地獄から救いだしてくれたのは、自立のために訓練してくれた塩原センターと、鍼師・灸師・あんまマッサージ指圧師の国家資格合格のために勉強した、国リハです。
私がそれらのセンターを卒業したのちに知ったことですが、これらの国立のセンター以外にも、県立や民間のセンターも沢山あるようです。去年私がお世話になり、これらの詩をホームページに掲載してくださっている視覚障害者支援センター熊谷(通称・全国ベーチェット協会)もその一つです。
残念なことに、塩原センターはすでに閉鎖されてしまいましたが、同センターは、大正天皇の保養地を払い下げられた後に再利用されたのだそうです。そのために、温泉に入り放題でした。名前の通り塩原温泉街の玄関口に在ったのです。
国リハ(コクリハ:国立障害者リハビリテーションセンター)は、米軍基地の跡地を払い下げられた土地に建てられました。そんなこともあり、敷地は広大です。その広さは塩原センターの5から6倍くらいあると感じました。実際は、それ以上広いかもしれません。その敷地の周囲はうっそうと茂った木々でおおわれています。その木々のことを、私が勝手に『国リハの森』あるいは『リハの森』と名付けひとりでそう呼んでいました。
余談ですが、国リハの敷地内には、沢山の花が咲きました。一例をあげると、蝋梅、梅、桜、花みずきなどです。秋になると、銀杏を拾いに来る人もいました。
驚くのは庭に、やや大き目な池があり、その池では大きな鯉や亀を飼っています。その鯉を狙って忍び込む人(どうやら中国からの帰国子女らしいのですが、悪気はなく、なぜあんな大きな鯉を食べないのか?と不思議に思っているようです)がいるために、池全体を金網で覆っています。
次の詩は、思いつくまま感じるままに書いて見た詩です。
私は、見えなくなってから、自然に触れることがより一層好きになりました。そんなことを書いてみました。どうぞ読んでください。

〈お日さまと風と青い空〉

私の一番大切なもの
それは
未来へ向かう夢と希望
それを考えると
心にパワーが蘇る
今は辛くても
苦しいことが多くても
最高の喜びに出会えることを
夢に託して歩いて行こう
・・・・
私の一番大切なもの
それは
花を愛する心
花に話しかけると
心に優しさが溢れだす
全身を虚しさが襲ってきた時
ジャイアンツが連敗した時
花に向かうと
愛する気持ちに満たされる
・・・・
私の一番大切なもの
それは
お日さまと風と青い空
青空に昇る太陽に
両手を合わせて祈る時
昨日までの自分が現れる
その全身や心の汚れを
天から吹く清風が
綺麗に浚って持って行く

▽ 皆さんは、何かに行き詰ったときや、心が空しさに襲われたときには何を思いどうやって解決していますか。
目に障害を持つまでの私は、視野が狭かったことを悔やみます。率直に言うと、自分のことしか考えていなかったのです。自分さえよければそれでよいと思うと、ほかの人の好意やありがたさに気づきにくいものです。それを思うと、視覚に障害を持ったことは私個人にとっては人生を生きて行くうえでとても大きな出来事であり、ありがたいことであると感じます。
何が良くて何が悪いかは、塞翁が馬ですね。
ありがとうございました。
石田眞人でした