第三号 国リハに学び始めて
国リハ(コクリハ)は、正式名称を国立障害者リハビリテーションセンターと言い、埼玉県の所沢市にあり、西武新宿線の航空公園駅と新所沢駅のほぼ中間にあります。とにかく国リハは敷地が広大で、各障害者の訓練棟や寮だけではなく病院や福祉を勉強する専門学校とその寮、野球場、サッカー場、300mのトラックをようするグラウンド、また体育館は二棟あり、その一つには屋内プールやトレーニングルームもあります。
その広さのために、慣れないうちは誰もが敷地内で迷子になるくらいなのです。そんな私も何度か迷子になり、助けてもらったこともあります。何年も国リハで働いている先生方でさえ、敷地内の全体を把握できていない方もいるのではないでしょうか。
国リハには、職員の方たちの官舎もあり、先生方や職員の方たちだけではなく、そのご家族もたくさん住んでいます。中には、まだ幼いお子様たちもいて、その子たちは私たちのような障害者といつも向き合っているので、私のような障害を持つ者にも、ごく普通に優しく接してくれました。小さな子供たちの優しさにも、励まされたことは、今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。
私は、そんな国リハで、三年間、鍼師・灸師・あんまマッサージ指圧師の資格習得のために学びました。国が定めた単位をすべて習得し、初めて国試を受験する資格が得られるので、私自身50歳を過ぎたにも関わらず、今までにないくらい真剣に授業を受け、勉強もしました。子供のころからこんなに勉強をしたなら、人生は変わり、きっと博士か大臣にでもなっていたのではと思うほど、予習復習もしました。
入学した当初は、40人くらいの仲間がいましたが、卒業したのはわずかに19名でした。視覚障害者になったからこその出会いも沢山あり、国リハでの三年間をひとことで称すると『二度目の青春』と言っても過言ではないほど、楽しい三年間でした。
国リハは、視覚障害者だけではなく、肢体障害者・言語聴覚障害者・高次脳機能障害者などの人が学んでいます。もちろん、それぞれ学ぶ内容も学ぶ教室も異なりますが、時折私の障害と違う障害を持った人たちとの交流を持てたことも、私の宝になりました。
おおよそ楽しく過ごさせてもらいましたが、もちろん心に大波が立ったこともありました。その原因の一つは、人間関係です。どこの世界へ行っても、嫉妬したりねたんだりする人はいるものですよね。
それ以外にも、解剖学、生理学、病理学、東洋医学などの、慣れない勉強や、始めて生活する町や、年齢もまちまちなクラスメイトとのコミュニケーションもストレスであり、かつて味わったことのない苦労もありました。それで、腹を立てたり落ち込んだりもしました。
最初の詩は、冷静に自分自身で、自分自身を見つめている詩です。いい年をして、イライラして、腹を立ててしまったことを自分自身へ戒めたものです

※高次脳機能障害(コウジノウキノウショウガイ):後天的に、事故や病気で脳の一部を損傷して起こる障害。

〈Masatoくんへ〉
君は 意外に気短なのだね
自分でも気づいているのかい
そんなにカッカしては
楽しいことも逃げて行ってしまうのではないのかな
なによりもつらいのは
自分のことが嫌になるだろ
確かに 君の住む世界には
理不尽なこともあるさ
澆季溷濁(ギョウキコンダク)した世の中だからね
しかし 君
興奮して 大声で叫ぶたびに
顔厚忸怩(ガンコウジクジ)たる思いで
自己嫌悪に落ちて
暗闇に苦しむのも
君の本意ではないのだろう
もっと心に 新鮮な風を
呼び入れてみてはどうだろう
陽だまりの中に心を置いてみろよ
見えるものが変わってくるぜ
目に見えるものだけが
真実とは限らないのじゃないのかな
聞こえてくるモノだけが
すべてではないと思うよ
おい おい 僕は何も
君にお説教を垂れているのではないよ
所詮 今日のこの時は 流れる雲と同じだぜ
確かに雲は そこにあるさ
見ることもできるさ
しかし 次の瞬間には消えてなくなってしまうじゃないか
いわば すべてのものは
在ると思えば在るし 無いと思えば無いのだよ
君の人生だって同じ
泡沫夢幻だぜ
そんな君にだって少しはいいところもあるのだからね
そうだろう
国リハの友も言っていたじゃないか
「MASATOくんの真っ直ぐなところが好きだ」とね
まあ 見方を変えれば そうも言えるだろう
生きていく上で大切なのは
憎しみを捨てて 愛を持つことだと思うぜ
罪を憎んでもいいが
人を許すことはできないとね
君だって
大勢の人達から 許してもらっているだろう
おおらかになれよ
もっと懐を深くしろよ
そうすれば
人の良いところが見えてくるぜ
君の住む世界が
広くなるぜ
悲しみに沈んだ時は 泣けばいいさ
苦しみにもがいている時は 汗を流せばいいじゃないか
そうすれば 喜びが 倍増するぜ
喜びが増えれば
光が心に入り込み
心に余裕が生まれるよ
そうなれば
怒りは小さくなるよ
ほら 見上げてみろよ
あんなに空は 青いじゃないか
足元を見てみろよ
大地はどこまでも続いているぜ
たまには 心を風に任せてみてはどうだい
宇宙の地平線まで飛んでいけるぜ
死ぬまでには 一度でもいいから
心のビックバーンを経験してみたいだろう
君は 今でも修行の旅をしているのだからね
みんなは言っているよ
君には笑顔が一番似合うとね
だから いつでも
ありがとうの瞬間を 見逃すなよ

※宇宙の地平線(事象の地平線ともいう)とは:物理学における相対性理論に基づいた概念の一つで、光や電磁波を用いて計測できる宇宙の限界線。
泡沫夢幻(ホウマツムゲン)とは:消えてなくなるものの例え。
澆季溷濁(ギョウキコンダク)とは:夏目漱石の「草枕」の中に出てくる言葉で、道徳や人情が薄れ、穢れ濁った、という意味。
顔厚忸怩(ガンコウジクジ)とは:非常に恥じ入ること。

▽先ほどの詩は、突然なれないひとり暮らしを始めて、戸惑っているさなかの自身の心の内を書いたものですが、次の詩は、打って変わって、国リハ生活を楽しんでいる様子を書いたものです。
それは、国リハに入学して、仲良しになった仲間三人と、初めての夏休みに、高尾山を登った経験をもとに作りました。
私が52歳、あとの二人は58歳と49歳の夏でした。何はともあれ、国リハ生活を満喫していたことだけは理解していただけると思います。「高尾山なんか簡単に登れるよ」と聞いたのですが、とんでもありませんでした。兎にも角にも、汗だくになるし、見えない三人組でもあるし、腹はすくし、足は痛くなるしで、鳴きたいくらいつらかったのです。
すっかり疲れ果てた三人組は、異口同音にロープウエイで帰ろうと言うのです。それで、下りはロープウエイで降りてきたのでした。しかし、それだけに、地球の息吹を体全身に感じることができました。
見えている皆さんは、そっと目を瞑ったつもりで、文字面だけを追わずに、夏の深い森林の中を肌で感じて、鳥の声や木々の囁きや小川のせせらぎを心で聞いて、花や緑や土の香りを想起して、風や蒼穹を全身で感じてみてください。
あっという間に、勢いだけで書いたので、知識で理解しようとせずに、ただ感覚のみで感じてください。
※蒼穹(ソウキュウ):青空のこと。
穹蒼(キュウソウ):大空のこと。

〈風を旅して〉
50歳の夏休み
風を捕まえに
高尾山を登った
鬱蒼と繁茂した森に吹く清風
山底から聞こえる地球の叫び
それで僕は
陽だまりに流れる風を
胸いっぱいに含んでみた
清流の瀬音は
まるで 地球に流れる血液のような
生き生きとした命の匂いがする
突風に僕の体が舞った
それは全く木の葉のように
くるくると空高く 光る空に吸い込まれてゆく
上空に停止して 宇宙を歩けば
僕の頬のほてりを
青い風が和らげてくれる
南の風は
額の汗を太陽の炎へと運び去る
目の前を小鳥がwinkをして去りゆけば
蝉は遥か眼下で行く夏を歌い
大きく盛られた緑の森に
一真法界を見る
ふあふあと 風の流れに浮いている僕は
両手を広げ
手を引く風に逆らって
波打つ風を 蛙のように 泳いでみた
突然 白い雲が僕の行く手を遮る
すると 上昇気流が旭日昇天 のpowerで
雲を蹴散らして行く
その勢いで
くるりと仰向けに寝転び
雲を枕に 宇宙の青さを
全身に飲み込めば
黒い瞳は
middleblueな光に早変わりする
ゆらゆらと
地球の青さに染まりゆく身体と
銀河の流れに満ちてゆく心
いつしか 宇宙の空間とひとつになって
夏の太陽に溶けてゆく
悪戯風子は
いちいち 僕の心にちょっかいをだし
そのたびに胸が高鳴り
ヒューヒューと 風子の笑い声が耳に響く
時折僕の鼻をくすぐる
緑な風は
どこからか百合の香りを運んでくる
天上の鼻は
地球の作り出す 闇の隙間を埋めている
地上の星は
風の合間に彩りを加え
燦々と光を放つ
いつしか空は紅に染まり
膨張した太陽が 山に熔けていき
一番星が光る頃
七つの子を持つ烏が
あわてて森へ飛んでいく
一億光年 昔の光で
空が飾られると
街の灯りが 瞬きだし
僕はほっと息を吐く
家々から立ち上る 味噌汁の匂いを
お腹いっぱいに飲み込む
すると「ただいま」と言う
子供の声が聞こえそうだ
ようやく 東の空から
真ん丸お月さんが 顔を見せた
僕は 月の明かりを泳ぎながら
鼻歌を歌う
そうして 白い光に沈んでゆく
風に抱かれ 風を旅しながら

※天上の花:星のこと
地上の星:花のこと
この言い回しは確か、宮沢賢治が言った言葉だと思います。ちょっとお借りしました。
一真法界(イッシンホウカイ)とは:華厳宗の極理を示す宇宙観、唯一で真実な絶対無差別の宇宙の実相、唯一絶対の永遠普遍の真理。

▽見えない三人組の小さな旅だったので、傍で見ている人たちは、それはそれは、珍道中に見えたのではないでしょうか。私は、光しか感じることができないので、目の前に誰がいるのかもわからない状態でした。他の二人は視覚障害者と言っても、弱視だったので、大きな文字や、近くによれば、そこに何があるか、そこに誰がいるのか見えていたようです。
それで、ひとりの友に、介助してもらいながら、ゆっくりゆっくり山を登ったのでした。とても厳しい旅でしたが、それだけに楽しさ無限大でした。
懲りずに翌年も、やはり同じメンバーで高尾山を登りました。
高尾山には「お父さんやお母さんに手を引かれた、五~六歳くらいのお子さんもたくさん上っていたよ」と、友が言っていました。

国リハから高尾山にたどり着くまでの道中も、電車の乗り換えを間違えたり、切符を失くしたり、駅の構内で迷子になったりと、ハチャメチャで、まるでやじきた道中さながらでした。
国リハでの三年間の経験をかき集めると多くの驚きがあります。今後も少しずつ紹介させていただきます。
今回も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
石田眞人でした